遂にコロナ

いやぁ、遂に先月コロナウィルスに感染してしまった。子どもたちはその半年程前に感染していたので、我が家では私が唯一の未感染者だった。

 

それにしても、子どもたちのときは焦った。傍迷惑なウィルスを貰って来たのは高校生の息子だった。学校のサイエンス・フェアの直後だったので怪しいと思っていたら、後にそれが「スーパースプレッド・イベント」だったことが判明した。まったく…。その翌月には日本への一時帰国を控えていたので、例年通り実行してくれた学校側の律義さに思わずムカついてしまった。

 

とはいえその時点では出発まで6週間はあったので、それでも悠長に構えてはいた。それよりも喘息持ちの息子が重症化してしまうことが心配だった。

 

そうそう、あのときはコロナ治療薬のことで薬局と揉めたのだった。治療薬の、「コロナに感染しても慌てないで。まだ道はあります」みたいなオーストラリアの政府広報を思い出し、早速かかりつけ医のリモート診断を受けて、処方箋を送ってもらった。この処方箋があれば国民健康保険が効くので。

 

なのに、いざ買いに行ったら、売ってもらえなかった!?のだ。なんでもコロナの治療薬に国民健康保険「メディケア」が使えるのは18歳以上で、16歳の息子には適用されないという。18歳未満の子どもたちは重症化しないから、というのがその理由だった。

 

「でも息子はかなりシビアな喘息持ちでして…。だからかかりつけ医も処方箋を書いてくれたわけで…」と粘っていたら、

「でしたら、自費でお買いになります? 3000ドルいただきますけど」と、薬剤師。

 

え~、3000ドル!?  自腹だと…30万円もするの~~~!?

想定外の額過ぎてビックリしてしまった。

 

暫く葛藤していた。本当にその薬、要るんだろうか? コロナとはいえ、ある種強気のインフルエンザみたいな風邪薬に30万円…って気持ちと。でもケチって、息子がほんとうに重症化してしまったら…って気持ちの間で。万一何かあったら、その「あり得ない」金額も「たかが」になってしまう。

 

出し惜しみしたせいで万が一息子の命が…およよよよ(号泣)。深刻な後遺症でも残ってしまったりしたら…あわわわ。いやいや、それより実際全く必要なかったら…。やっぱ唸りますよねぇ。

 

迷っていたら、店長さん登場。

「ちょっと様子を見て、お子さんの様態が悪化してしまったら、またいらしてはどうですか?」、と。

店長、どうやらこういう展開には慣れているらしい。

 

敢え無く「いったん」撤退しつつ、思った。じゃあ、もしかして、コロナワクチンの方も、実は案外お高いんじゃね?、と。そう思ったら、なにかと賛否両論あって、私も3回目の摂取時など、どこか「打ってあ・げ・て・るっ」的な気持ちもあったのだけど、それが「無料の」有難~い対象に思えてくるのだった。初めてコロナワクチンを打ったときの感謝の気持ちを思い出しましたよ。

 

それはさておき、保健相や薬剤師さんの言ったように、喘息持ちとはいえ16歳の息子の具合は大したことにはならなかった。それどころか本人、自己隔離で5日間学校を休めたので、と~っても満足そうだったのよ。

 

後に息子は言っていた。

「あのときはとてもママには言えなかったけど、かなりハッピーだったんだよねぇ。ロックダウンの時みたいにオンラインの授業なんてなかったし、一人ただ部屋にこもって、アニメ見たりゲームしたり本読んだり好き勝手して、の~んびり過ごせてさぁ。今思い出してもサイコー、すご~く充実した時間だったよ」、と。

 

はい~?

それにしても、あのときテンパって30万円の薬なんか買わないで、ほんと~~~に良かった。

 

実際、私が青くなったのは、その数日後に娘まで感染してしまったと判ったときだった。ムゥの感染がわかる前、二人で仲良く長時間ゲーム遊びをしていたのがいけなかったらしい。

 

やはり「コロナ」というだけあって、敵はかなりの感染力を持っているらしかった。日本への一時帰国まで、まだ一月以上あるとはいえ、油断はできまい。この流れで最後に私が感染してしまっては…。そしてそれが長引いてしまっては…。タイミング的に、それこそ日本に行けなくなってしまうではないかっ!?と。

 

そういえば以前、友達が言っていた。日本からオーストラリアに遊びに来た母親がコロナに感染してしまって、それが2週間経ってもPCR検査で陰性にならず、なかなか帰れなかった、と。中には長引く人もいると言うから、万が一このタイミングで自分が…

 

以来、神経質なほど感染予防に努めましたよ。子どもたちの抗体検査が陰性になってからも、ほぼ自己隔離状態ね。その甲斐あって無事、元気に出国。

 

結局私はその後も感染することもなく、我が家ではコロナ感染を逃れた唯一の存在、コロナ最後の砦となったのでした。このままコロナも終焉してしまうのでは…と楽天的に構え始めた矢先の感染だった。

 

 

「あれっ」と思ったのは、その前日に亡くなったチベット仏教の高僧ラマ・ゾパ・リンボシェの法要をしているときだった。経典の詠唱をしていたら突然、喉が痛み出したのよ。

 

私は若いころ煙草を吸っていたせいか、30代で英語の国に移住して以来コミュニケーションのストレスに苛まれて喉のチャクラがブロックされてしまったのか、喉が極端に弱い。とりわけ瞑想や法要、ニュンネ行をしているときなんかにナイフで切られるように喉が痛くなることがあった。だけど刺すような痛みも、行を終えるやすぅ~と消えてしまうので、これも「浄化」だろうと考えてあまり気にしなかった。

 

だけどその夜は法要を終えても消えないどころか、ますます痛くなってきた。「コロナのわけないじゃん。ママは心配し過ぎなんだよ」などと子どもたちからは軽くいなされたけれど、念のため抗体検査をしてみた。その日はチベット仏教のゲシェ3人とランチを囲む機会があったので、万が一感染していたら…と心配になって。80代後半とご高齢のゲシェもいらしたのに知らん顔なんてできないものねぇ。

 

だけど結果は陰性。ほっ。とした反面、「だから言ったじゃん。ママって、ほんっと心配性なんだから」と言われれば、「ほぉら、やっぱりコロナだったじゃん!」と、抗体検査に現れた2本のラインを水戸黄門の印籠のごとく掲げたいって気もしてきた。「ははぁ~」と、子どもたち。って、違うか()

 

冗談はさておき、検査では「陰性」だったけれど、そのうち痰が絡み始めた。明け方に喉の痛みで目が覚めた。痰が詰まり過ぎて胃がムカムカして、気がつけばトイレで吐いていた。痰が原因で吐くなど私にとっては生まれて初めてのことだった。

 

これは…ただ事じゃない、とそう思いましたよ。この桁外れの威力は、やはりコロナかも…。

 

実際やはりコロナに感染していたのだとわかったのは翌日、2回目の抗体検査だった。病気がちの友達が遊びに来ることになっていたので、念のため再検査してみたのだった。

 

抗体検査にはくっきりとピンクの2本線が浮かび上がっていた。しみじみと妙な感慨に浸ってしまった。ああ、やっぱり…。ああ、遂に。

 

いちおー記念撮影もしておいた。ついでにその写真を黄門様の印籠のごとく子どもたちに見せたけど、大したリアクションも得られなかった…。なので、悪趣味だと思い直して写真は消した。

 

こうして敢え無く、我が家全滅。

 

いちおー手順通りビクトリア州政府にネットで報告したら、5日間の自主隔離をお願しますとメールが届いた。インフルエンザかもしれないと、あの夜から外出を控えておいて本当に良かったゾ。

 

コロナ感染が判明したとはいえ結局、大した症状は現れなかった。喉の刺すような痛みと痰には悩まされつづけたけど、それ以外の弊害はなく、熱も出なかった。ああ、でもエネルギーレベルがぐぅんと落ちてしまって、2週間ほど夜になるとかな~り疲れたわ。

 

猛威を奮っていた新型コロナウィルスも3年が経って、変異し続けるうち威力も弱くなっていったたんだろう。子どもたちの方は、コロナ感染後3か月から半年間は感染しないというけど、実際うつらなかった。

 

そうこうするうちWHOがコロナ・パンデミックの終焉を宣言した。

 

結局、我が家は全員がコロナ経験者となって、コロナ時代を終えたのだった。感染率なら100%なのでした(苦笑)

 

 

 

日本ブログ村に参加しています。

応援クリックをどうぞよろしくお願いします(^^

 

© Ako Mak 2018

All copyright is reserved by Ako Mak, マックあつこ