うちの親も… 

 

アラサーもアラフォーも通り越して阿羅漢(あ違うか、アラ還ですね)にもなると、友達との会話でも親の介護のことが話題に上ることが増えてくる。

 

オージーでも週に1度は親の家を訪ねているという人が結構いるし、こっちの日本人からも子どもたちを夫に任せて親のお世話で暫く日本に帰っていたという話を聞くようにもなった。日本でも地方に実家のある友達は姉妹で介護連合軍を組んで交代で帰省するとか、親が近くに住んでいる友達は福祉の助けも借りつつ面倒を見ているとか言っていたし。

 

うちの両親も80代、もはや押しも押されぬ後期高齢者。幸い妹がスープの冷めない距離に住んでいて、仕事の前に必ず愛犬を両親に預けに行っていたから、私の方はずっと一時帰国もできないながら、何か異変があれば妹が気づくハズだと心強かった。

 

それでもコロナ禍の規制も緩み、遂にこの6月やっと里帰りができて、3年半ぶりに両親と会った。前回のブログで触れたけど、両親はとても3歳半年を重ねたとは思えないくらい年を取って見えた。とりわけ母など、コロナ禍で散歩の習慣も止めてしまったことがいけなかったのか、足腰が極端に弱くなって、足の形が奇妙に歪んでしまって、立っているのもしんどそうで…

 

両親の老いは、実家の家屋にも顕れていた。滞在するときは2階部分を使っているのだけれど、和室の部屋になぜか6月だというのに炬燵が鎮座していたのだ。ご丁寧に炬燵布団やカバーまでかけられて。夏に、炬燵? なぜ?

 

大いに戸惑いつつ、自分の元寝室のクローゼットを開けて愕然とした。引き出しを開けたとたんジャージやTシャツ、パジャマの上に、黒くて丸い粒々がそこかしこに落ちているのが視界に飛び込んできたから。一見して、糞だった。しかも小動物の…

 

開けた引き出しは即、閉めた。とてもゴキブリとか虫の落とし物には見えず、その出所を連想すれば恐怖で縮みあがってしまったから。白骨化した、もしくは腐り始めたネズミの死骸…か何かがトレーナーの上に転がっていたらどうしよう…と。

 

恐ろしいので、もはやその引き出しは諦めて、他の部屋の押し入れにかかった。考えてみれば、いつも日本を発つ前には必ず虫除けや除湿剤を入れている。それが今回3年半も帰れなかったせいで、こんな事態になってしまったんだろう。もちろん両親の高齢化のせいではないと分かってはいたけれど、やはり衝撃的だったのだ。

 

隣の部屋の押し入れから寝具を取り出していたら、今度はシーツからハラリと何か茶色いものが舞い落ちてきた。ゴキブリの…死骸だった。それもかなりデカイ…。しかもミイラ化が進んで、落ちながらにしてパラパラと空中で身体が分解していった…。

合掌…

 

ここに至って、やっと私は両親の現状を知ったのだった。あの足では、母はもう階段は上がれない。父もまた、もうわざわざ2階に上がるようなパワーはないのだろう。以前は2階にあった両親の寝室は階下に移ったし、書斎も何もかも今では生活の場を全て1階に移している。もしかするともう何年も、誰も2階には上がらなかったのかも…。だから夏だというのに前回同様、冬に帰ったときにあった炬燵が、そのままになっているんだろう。

 

そう思い当たった私は階下に降りて、更に仰天したのだった。茶の間にまで炬燵が置かれていたから。しかもフル装備で…。炬燵布団やカバーまでしっかりとかけられた炬燵で、父はふつーに寛いでいた。

 

これはいったい…どうしたことなのかっ!? 単に面倒で、そのうちまた冬になれば使えるからと判断して、炬燵を出したままにしているのだろうか? それとも、加齢による血行障害と冷え性が進んだ結果なのか? このところ冬のメルボルンで靴下を重ね着(寒い時にはトリプルよ)することが多くなった(苦笑)我が身のことを思えば、80代も半ばともなればますます血行が悪くなって冷え性も進み…。それにしても、もう6月も半ばだろ…?

 

結局あの後梅雨が明けて、炬燵カバーは消えた。そのうち私も、両親が高齢者のスロー&シンプルな暮らしながら、それでも二人で「ふつー」に生活していることが分かって安心したのだった。次はもっと長期で帰って、両親の暮らしが楽になるようなセッティングをお手伝いしようと考えつつ。

 

 

あれから3か月。ここ一月ほど妹から両親のことでたまに長~いメッセージがLineで届くようになった。

 

初めは、母が類天疱瘡にかかって悪化してしまったので、入院するかもしれない、という内容だった。妹は膝の手術で仕事も辞めて休養していたのだが、電話のやり取りから母の様子がおかしいことに気づき、その日実家を訪ねて驚いたらしい。私もビックリした。両親とは週に1、2回電話で話すようにしていたので、皮膚の痒みのことは母から聞いていたのだけれど、そんなに酷いことになっていたとは…全く気づかなかったのだ。

 

その翌週今度は、得体の知れない人たちが実家に上がり込んでベランダに何か取り付けているとLineが届いた。何をしているのかと尋ねても、父親も彼らもロクに説明もしてくれないので心配だ、と。高齢者を狙った詐欺グループの類かもしれない…と読んでいる私の方も心臓バクバク、不安になった。あのときは父に電話で尋ねても説明してくれないし、そのうち妹からまで直接父に聞いてくれと疎ましがられるしで、途方に暮れつつ心配だけが募った(今も続いているのよ)

 

とはいえ妹は、母の病気が分かって以来、毎日薬を変えに行ってくれて、週に4日夕食のおかずも届けてくれるようになった。とてもありがたく、心強い限りなのだけど先日、妹からまた長~いメッセージがLineで届いた。

 

母の病気は治ってきたものの、動けなくなっているようで、本人も動こうとする気力がなくなっていて、このまま寝たきりになってしまうかもしれない。そのうえ父は、母が介護認定を受けるのを拒否している、と。

 

寝たきり…? 介護認定を拒否…?

スマホを手にしたまま固まってしまった。

 

両親と最後に会ったのは、ほんの3、4か月前のことだった。あのとき、それでも母は自分で歩いていた。ものすご~くゆっくりとではあったけど、家の中を一人で歩いて、トイレにも行って、お風呂にも入って、朝などたまぁに台所に立って、お味噌汁を作っていたことさえあったのだった。年寄りの二人暮らしではあったものの、それでもゆっくりとシンプルなペースながら生活できていたのだった。それが…

 

とてもLineのやり取りで話せるような問題じゃあないので、妹はインターネット電話が嫌いなのを知りつつ電話をしてしまった。でもやはり回線が悪く話しにくいからネット電話はストレスになってしまい無理だという。私の方は、内容が深刻すぎるのでSMSの方が辛いし、突然長~いメッセージが一方的に携帯に届いた後まともに話せないこともすごくストレスになっていた。コミュニケーションって、難しい…

 

両親にも電話を入れて事情を聴いたけど、いつも話がよくわからない。父は、意見が合わないことや話したくないことにはシャッターを下ろしてしまって、理由をつけて切ってしまうか、母に手渡してしまうし。母は、コロナご時世になってから認知症が進んできて、電話での会話がどんどん難しくなっているし。

 

せめても母を気遣い、優しい言葉をかけて、できるだけ自分で歩けるように励ますのが精いっぱい。今度また帰ったら一緒に食事に行きたいから、がんばって少しずつでも毎日歩いてね、とか。すると母は、そうだね、そうするよ、ありがとう、と言ってくれるのだけど…

 

このままだと、寝たきりに…?

今から、寝たきりに…?

まだ84歳なのに、もう寝たきりに…?

 

 

先日ネットで読んだ日本の新聞記事にこんなことが書かれていた。昔と違って現代人は、長寿をそれほど喜ばないようになった。それよりも健康でいて、ある日ぽっくり死ねることを願うんだそうだ。けれど日本人、とりわけ日本女性は、心臓の強さに比べて足腰が弱いために、寝たきりになって長生きすることが多い。そのうえ認知症が進むことも多く、寝たきりで認知症だという、過酷な晩年を過ごす方も多いという。

 

そんな事態を避けるために、早いうちから適度なエクササイズやヘルシーな食生活など健康的な生活習慣に心を配る人が増えているんだそう。今は、長生き云々よりも足腰を鍛えて、できるだけ自分らしい暮らしを長く続けて、寝たきりになってしまう前にぽっくり逝きたいから、健康に気を付けるのだという。

 

そういえば、父は今でも剣道の竹刀を持ち出して、早朝から素振りをしている。コロナが社会を脅かすようになって以来、時に気弱なことも言うようにもなったけど、父はキホン生きる気力に溢れた人だ。口にこそ出さなくとも、できるだけ元気で長く生きたいと考えているに違いない。

 

考えてみれば母だって、寝たきりになったら嫌だからと散歩も続けていたのだった。コロナ前までは、歩けなくなっちゃうと困るからと、不自由な足で近所を散歩していた。食事も野菜中心に高タンパク質のヘルシーなメニューを心がけていた。自分の母親を見ていたから余計に健康に気を付けていたんだろう。

 

私にとっては菩薩のように優しかった祖母は、母の母だった。祖母は元気だったころ言っていたものだ。別に自分は長生きしなくてもいい、それよりも寝たきりになって生きるのは嫌だ。誰にも迷惑かけたくないし、ぽっくりと逝きたいのだ、と。でも明治生まれの祖母はエクササイズや運動の類は全くしていなかったっけ。

 

結局、祖母は101歳まで生きた。残念ながら最後の十年は寝たきりで。認知症も進んで。最後は自分の名前まで忘れてしまって…

 

当時、往診に来ていた医者が言っていたものだった。おばあちゃんは、足腰は弱いけど、内臓は強いからねぇ、と。

 

一緒に暮らしていた母は、祖母は家で死にたいと言っていたからと介護を続けて、自分の健康を壊してしまった。それで祖母は介護施設に移った。施設のベッドで寝たきりのまま2年ほどを過ごし、亡くなった。

 

当時介護をしていた母がたまに言っていた。自分はおばあちゃんみたいに寝たきりにはなりたくない。認知症にもなりたくないから、今からゲームで「脳トレ」もしている、と。そんな母も…。

 

これから、どうすればいいのだろうか? なんとか母がこのまま寝たきりになってしまうという事態を防ぐことは、できないものだろうか? 父だって、いつまでも元気でいられるわけじゃないし…。両親のことや、これからのことを考えると、暗澹とした気持ちになってしまう。

 

昨日電話で話したときは両親とも元気で、長く話せてホッとした。とにかく1番辛いのは本人なのだから、できるだけ両親の話に耳を傾けてゆこう。話を聞いて、一緒に考えてゆくしかない。妹とはこれからは正規の国際電話で話そうと思う。回数は減るだろうけど、回線がクリアになって妹も話しやすくなるだろうから。こういうことにコミュニケーションは重要だものねぇ。

 

今回のことで、自分の中に溜まっていた負の感情にも気が付いた。もう何十年も押し込めてきたせいで心の奥深くに固まってシコリになってしまった感情にまで。いろんなことと折り合いをつけながら、自分は何ができるのか、無理なのかも考えてゆかなくては。

 

仏教徒ですもの。中道ですわ。

 

それにしても、次回里帰りをしたときに真っ先にやらなくてはならないことは、あの悪夢のフン引き出しの掃除だろうナ。

そっちもかなり怖いゾ(苦笑)

 

 

写真は、実家の氏神様に参拝したときに現れたトンボ。黒い蝶だと思ったら、トンボだった! 3年半ぶりに里帰りできたご報告と両親のことを頼もうと2番目の鳥居をくぐったら現れて、神様のお遣いのように境内を案内してくれました。今まで何度もその神社に行ったことはあるけれど、黒いトンボなんて初めてだった。たいてい冬に来ることが多いから季節のせいだろうけど、トンボは私のガイドだっていうし(20107月の日記「トンボですか…!?)、黒いトンボなんて珍しいとシャッターを押した。写真ではわかりにくいけど玉虫色に輝いていて、神秘的で、とても美しかったのよ。

 

後で調べたらなんと「神様トンボ」と呼ばれているとか!? 心配の心も励まされたのでした。

 

 

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