浅草寺のお御籤と心配性

 

先月まで日本に一時帰国していた。夫の病気やコロナの入国規制でずっと帰れなかったから3年半ぶりの里帰りだった。前回は小学6年生だった息子も今や高校1年生である。

 

やはり父は、丸顔の男の子だった孫が自分よりも遥かに長身になってしまったことに戸惑っていたようだ。私にしても思っていた以上に年を取って小さくなってしまった両親にショックを受けた。とりわけ母など足腰がますます弱くなって、歩行どころか立っているのもしんどそうで…。

 

それでもようやく再会できて、3年半ぶりに皆で食卓を囲んだ。去年一昨年はロックダウンの世界最長記録を更新していたメルボルンにあって高齢の両親のことを思い、もう2度と実家で寛ぐことなんてできないんじゃあないかと案じたこともあったけど、再び茶の間で一緒にご飯を食べて談笑することが叶ったのだった。日本滞在を満喫することもできた。

 

 

日本に帰ったときには、たいてい神社仏閣や霊場を参拝する。そうしてあればお御籤を引く。昔は単なる伝統的慣習みたいな流れで引いたものだけど、今ではお御籤は自分へのご神託。神仏からそのときの自分に向けられた極めて有益なアドバイス、だと思っている。吉凶はあまり気にしない。吉凶よりもそこに書かれている内容の方が重要だから。

 

そんなふうに考えるようになったのは、数年前に出雲大社でお神籤を引いてからだった。もともとは鳥取への家族旅行だったが、なにか出雲の神様から呼ばれているような気がして、予定を変えて島根にまで足を延ばしたのだった。だけど霊的なことや神秘的なことが起こったわけでもなく、「せっかく来たのだからお御籤でも」という流れで引いた。

 

出雲大社のおみくじに吉凶はなくお言葉だけで、そこには「夫婦の絆」についての訓が記されていた。実はその日も家族旅行中だというのに夫婦喧嘩をして険悪な空気の真っ只中だったので、その戒めかもしれない…とは思ったものの、それにしても自分の関心リストから言ったらだいぶ下位に位置する「夫婦関係」についてのアドバイスだったのでガックリしてしまった。遥々北関東から出向いたのに、なんで今更夫のことなんて…と。

 

だけどその半年後に、夫が癌に侵されていることが判った。既に転移していて、専門医からは余命数年だと言われた。それから、以前は参拝の流れでなんとなぁく引いていたお御籤に一目置くようになったのだった。

 

最後に引いたのは自分の産土神社だった。そのころ夫は闘病しながら「ふつー」の日常生活を続けようと頑張っていたのだけれど、そろそろ二人で家業を続けてゆくのも限界そうだった。私一人で続けるのは難しく、会社は畳んで別の職を見つけた方がいいかもしれないと考えているときだった。お御籤にははっきりと動くな、今は自分から変化を起こすときじゃないと記されていた。

 

振り返ればあのとき無理に動かなくて本当に良かったと思う。動こうとしていたら家族4人で過ごせる貴重な時間を無駄にしてしまったばかりか、状況をさらに混乱させ悪化させていただろう。

 

その年の10月に夫の病状が急変して、年末の一時帰国もキャンセルした。その後はコロナの蔓延で国境封鎖が進み、日本に行くことも叶わなくなってしまったが、一時帰国できた暁には参拝してお御籤も引こうと密かに楽しみにしていたのだった。

 

 

そうして3年半ぶりのお御籤は、昔から参拝する機会の多かった浅草寺でひいてきた。浅草寺は秘仏、聖観世音菩薩―千手観音様を祀っている。千手観音様は、自分も書斎の祭壇に20年前に頂いた写真を祀っているし、千手観音のタントラヨガ行も長年続けてきたので親しみ深かった。

 

6月だというのに、連日40度近い真夏日が続くギラギラした午後だった。暑さのせいか入国規制のせいか、仲見世も浅草寺も閑散としていた。喉の渇きと日差しの強さに立ち眩みを覚えつつ汗だくで参拝を済ませた。3年半ぶりの浅草寺に心打たれる余裕もなく、それでもお御籤は引いた。

 

「凶」だった!?

 

凶なんてお御籤を引いたのは初めて、いや人生で2度目、中3の正月以来である。あのときは初詣の流れで引いただけだったし、受験には自信があったし、気にも留めなかった。それにそこは地元ではお御籤に凶を多くして厄除けに向かわせるのだという噂もあったので「やっぱ噂は本当だったか」などと友達と笑い合ったものだ。

 

だけどあれから何十年も経って、あのころに比べると自分も遥かに信心深くなっている。さすがに心霊への造詣も深くなって、チベット仏教に帰依し、密教行も積んできた。お御籤とはいえ、いわば千手観音様のお告げを、軽く受け流してしまっても良いものだろうか?

 

だけど、凶…。あまり重たく受け取りたくもなし…。いやいや、ここでうろたえてはならない。肝心なのはお言葉の方なのだから。お御籤にはこんな内容のことが記されていた。

 

心配や不安が心を取り巻いている。その奥には清く澄んだ心が在るが、憂いの心が暗く曇らせてしまっている。その状況で進めば、全ては「凶」。まずその暗雲を払いなさい、と。

 

ハッとした。実際自分はここ数年かなりの心配性になっている。夜中に目覚めて、眠れなくなることもあった。

 

トイレに立って、ふっと心に引っかかっていることや気掛かりなこと、やらなくてはならないことなんかを考えてしまうと、ヘンに頭が冴えて眠れなくなってしまうんだ。まあ、それでうっかり忘れていた事務処理なんかを思い出したりもするから、あながち無益だとはいえないのかもしれないが、睡眠の質は確実に落ちている。寝不足になっては翌日の効率もますます悪くなってしまうから問題だとは思っていた。

 

今回の一時帰国にしても、心配で堪らなかったのだ。入国規制は徐々に緩んできたとはいえ6月の帰国はまだまだ厳しくて、コロナワクチン3回接種の証明書やら搭乗72時間前のPCRテスト、日本のアプリMySOSなど、やらなければならない手続きが多々あったから、何か抜けていたりしくじったりして入国できなかったらどうしよう…と。

 

そういえば、昨夜もよく眠れなかったナ。暑さと寝苦しさに目が覚めて、ふっと両親のこれからのことや、友達に頼んできた我が家の愛(&老) 犬ポーちゃんやチャー君のことをあれこれと考えてしまって…。

 

「ママ、どうだった?」と、子どもたちがお神籤を手に聞いてきた。

「凶だったよ。メエは?」

「小吉だったけど…」と、それから娘は慰めるように言った。「ママの凶は、暑さのせいじゃないかな? 暑くて、調子が悪かったんじゃないの?」

え、いや、そういう問題じゃあないだろ…。

「もう1度、引き直してみれば?まだ時間もあるし。百円だし」とか息子まで気を遣っている。

ありがたいけど、そういう問題じゃあ…

 

ふっと傍らを見遣れば、柵にお御籤が巻かれているのが目に入った。凶が出た方は置いていってください、と書かれている。そうか、凶のお御籤はここに置いて行ってもいいんだ。

 

「だからママ、もう1度引き直してみなって。まだ時間もあるし。百円だし」と、なおも息子。

なんだかせこくて可愛い二人の気遣いに感謝しつつ応える。

「ありがとう。でも引き直すのは今度にする。来年また来ようね」、と。

 

このお神籤は観音様からのアドバイスとして引いたのだった。それをやはりなかったことにするわけにはいかない(苦笑)。「凶」をひいてしまった自分の縁起は観音様にお任せして、アドバイスの方をありがたく頂いてゆくことにしよう。凶御籤はそこに結び置き、浅草寺を後にしたのだった。何年ぶりかの炎天下での参拝だった。

 

その夜は暑い中を歩き回って熱中症になりかけたのか、胃がむかむかしてなかなか寝付けなかった。水をたくさん飲んでやっと眠ったのだが、吐き気と寝苦しさに何度も目が覚めた。前夜のように親や犬たちのことを考えそうになったけど、浅草寺で引いたお御籤のことを思い出した。

 

心配や不安で曇った心の状態で進むなら「凶」、何をしても結局はうまくいかない、と。

 

思えばシャンティデーヴァもダライラマ法皇も明言されているではないか。その問題に解決策があるのなら、解決すべく努力すればいい。何も解決策がないのであれば、思い煩うことに何の益があろうか。

 

ポーちゃんとチャー君なら大丈夫だ。友達が自分もホリデー気分を味わえるからと我が家に滞在して面倒を見てくれている。両親も今のところは二人でなんとか元気にやっている。今後のことは妹とも相談してサポートしてゆくしかない。ここで私が心配して睡眠不足になったとしても、親にも犬にも自分にもなぁんにも得なことはない。憂いの心なら、浅草寺に置いてきたのだから。

 

「憂いの心」は、夫が癌宣告を受けてから強くなったような気がする。それはあまりに突然で、今思い返しても寝耳に水の驚きだった。その後も思いもよらずコロナで日本に何年も帰れなくなってしまったり、朝起きたら家が水浸しになっていたり、階段から転げ落ちて車椅子生活になったり…。予期せぬトラブルに見舞われてきたせいで、心配する癖がついてしまったのかもしれないナ。浅草寺の観音様は、そういう私の心配や不安や、どこか癖になっていた心の状態を案じて、憂いの心は自分に預け置いて行きなさい、と言ってくれたのだろう。そう思えばその慈悲深さに胸が熱くなった。

 

こちらに戻ってそろそろ3週間になるけれど睡眠の質も上がって、今では変な時間にトイレに立ってもマントラを唱えることもなく眠ってしまう。役にも立たない「心配」や「不安」を抱えて「凶」のジンセイを生きるのはばかばかしいから、さっさと捨てて眠りに戻ろうと、憂いの心は切り捨ててしまう。

 

来年また日本でお神籤を引くのが楽しみだ。

 

 

写真は、上が浅草寺。

 

こちらは浅草で何年ぶりかに食べた抹茶かき氷。すごい、こぉんなかき氷、メルボルン暮らしの自分には初めてだった! 日本のかき氷は進化し続けているのね。

 

 

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