『ユーカリの木陰で里の行』


ブログ『ユーカリの木陰で里の行』

本や執筆、チベット密教やスピリチュアルな話、家族や愛犬、メルボルンの暮らしなんかをゆぅらりと綴っています。

 

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山の行より里の行・・・ 

―2018年4月5日から8日の日記から―

オーストラリア・ビクトリア州のアティーシャセンターでは

3月末から高僧を迎えて、

6週間のチベット密教リトリートが行われている。

ラマ・ゾパ・リンポシェがネパールから来豪されたのだ。

 

6週間!

しかもリンポシェのリトリートとあっては、

全部は無理でも2週間、

いや、せめて1週間くらいは参加したい!

と思っていた。

 

 

私がリンポシェに初めて会ったのは、

かれこれ20年近く前、

オーストラリアに移住して間もないころだった。

当時は仏教徒ではなかったけれど、

地元のチベット仏教センターの瞑想セミナーに参加したとき

向こうから歩いてくる3、4人の僧侶と出くわしたのだ。

 

年配の僧侶が一人、物凄い勢いで視界に迫ってきた。

圧倒的オーラを放っていて、

一目見た瞬間唐突に、なんといおうか懐かしさを覚えた。

心の、いや、

魂の父親にでも再会したかのような気がした。

後から聞いたのだがその僧は

ネパールから来豪されていた

ラマ・ゾパ・リンポシェだった。

 

 

それから数年後、

リンポシェがまたメルボルンにいらした。

チベット仏教センターで法話をされるということで

1歳になった娘を連れて、夫と一緒に行ってみた。

 

法話の後に

リンポシェからブレッシングを受ける機会があった。

幸運にも娘はむずがることもなく爆睡してくれたので、

私は爆睡する娘を抱き、

カタ(絹のスカーフ)をリンポシェに差し出した。

チベットの慣習的に

それを首にかけてくれるだけで十分だったのに、

リンポシェは話しかけてくれた。

 

と言っても

私のヒアリング力と、チベット僧(しかもご高齢)の英語。

何を言われたのか、よくわからなかった…。

「Where are you from?」って言った?

「ジャパン? ジャパニーズ?」とか言ったよね? 

みたいな。

私は日本から来たことと、自分と娘の名前を告げ、

リンポシェは尚も何か話されてから

マントラを唱えて祈祷してくれたのだった。

 

 

リンポシェのリトリートに参加したのは7年前

▶2011年4月10日の日記

「ゾパ・リンポシェのリトリート」をご覧ください)。

あのときはまだ下の子は幼稚園に通っていたので、

1日だけ。

しかもリンポシェの講義など数時間だけだった(泣)。

 

そうだ、その息子も小学6年生になった今、

長期のリトリートにも参加できるのではなかろうか?

と、今回のスケジュールを調べてみる。

 

早朝6時(週末は5時半)から

祈祷と瞑想とラマ・チョパ・ジョチョ行。

朝食を挟んで、お昼までまた祈祷と瞑想とラマ・チョパ行。

昼食後はカルマ・ヨガ

(食事の後片付けとか掃除とか雑務行)をはさんで、

4時からラマ・ゾパ・リンポシェの法話が始まる。

それから夕食を挟んで、7時半からまたリンポシェの法話。

 

リンポシェは、瞑想時間は長いが、

睡眠時間は極端に短いことで知られている。

そうしてそのマイペースぶりでも。

チベット仏教仲間(以下、仏友ブツトモ)から聞いた

過去のリトリート話では、話がのってくると、

リンポシェはそのまま何時間でも話し続ける。

深夜1時2時まで話し続けて、

いったん解散、

早朝4時からまた続きを始めたなんてこともあったとか。

 

いずれにしても、早朝の祈祷や瞑想から始まって、

行三昧の日々となるんだろうな。

最初の2週間は

シャンティデーヴァの『入菩薩行論』を講義すると聞いている。

そうしてリトリート半ばから

最高位のタントラ・イニシエーションに入るとも…。

なんて素敵なんだろう。

 

 

だけど一つ、素敵でないことが…

宿泊施設がテントなのだ。

バス・トイレは共用、

つーか、仮設シャワーに仮設トイレ。

洗面所の類は無し!

 

そもそも、アティーシャセンターには水道が通っていない。

それでも温水施設はあるらしいが、聞いた話では

仮設シャワーが湯になることは滅多にない。

実際それはシャワーというより、ジョウロ(如雨露)的で、

貯水不足から1回あたりの時間制限もされてしまう。

くわえて朝晩の冷え込みで…

 

まあ、それも

修験道的過酷な修行と思えばいいのだろうけれど、

私ってば修験道行者じゃないし…

つーか、無理だし…

 

だけどリンポシェは、ご高齢。

7年前の来豪リトリートでは脳梗塞もされている。

同年代のダライラマ法王の、今年のオーストラリアツアーは

健康上の理由からキャンセルになってしまった(号泣)。

そんなことを思えば、

仮設トイレ&冷貧水シャワーのキャンプ生活くらいで、

怖気づいていてはいかんゾ、自分!

 

とカツを入れてはみたものの、

アウトドア苦手な自分には正直、荷が重かった。

無理してまた一昨年の病気しても困るし…

それに大きくなったとはいっても下の子はまだ小学生だし…。

夫は、調子はいいといっても大病中だし…。

 

しかも夫は去年患ってから俄然、密教行に励みだし、

今ではリンポシェの大ファン(?)だ。

リトリートにも私以上に参加したがっているのだ。

そんな夫と交代で参加するという選択肢もあるのだが、

テント生活では、

自分もさることながら夫の健康状態も気掛かりだ。

 

そんなこんなで、先月ゲシェとランチをしたときに相談してみた。

夫のことを勝手に聞いては悪いから、自分のことを。

6週間は無理でも1週間だけならなんとかなりそうだから

思い切って参加してみようかと思っているのだけれど、と。

 

去年3週間の密教リトリートへの参加について

相談したときと似たような答えが返ってきた。

「今は家族のことを優先して、

リトリートは止めた方がいい。

あなたにはまた後でチャンスがあるから」と。

ただ今回は、今更何を言っているんだ的やや憮然とした雰囲気で。

 

そうだった、去年通訳のM僧が

ゲシェからのアドバイスを伝えてくれたことがあった。

「今は現世で起きていることを精一杯生きることが

あなたのDharma Practice仏教修行なのですよ」、と。

 

ですよね。。。

「山の行より、里の行」ってことですよね。

そのアドバイスは覚えてはいるんですが、つい…。

 

 

結局、子どもたちの学校も秋休みに入るので、

家族みんなでリトリートに参加することにした。

子連れどころか、犬まで連れて

 

愛犬ポーポーとチャールスの世話を頼む人が

今回見つからなかったので、

いっそ連れて行ってしまおうってことになったのだった。

さすがに講義や瞑想に参加させることは

叶わないだろうけれども、

あの子たちにも寺院のグレート・スチューパ(仏舎利塔)の周りをお散歩させてあげるくらいならできるだろう。

それで少しでも

リトリート体験(?)をさせてあげることができたら

嬉しいなぁ~と。

 

とはいえ、犬連れではリトリート会場には宿泊できない。

秋休みに今から予約をとるのは難しいかと思ったけど、

運よくアティーシャセンターから車で20分ほどのところに

ドッグ・フレンドリーのホリデーハウスを見つけたのだった。


こうして4月5日から8日まで

3泊4日の密教リトリート家族旅行に出ることになった。

当初、夢見ていたリトリートとは

だいぶカラーが違ってしまったけど(笑)。

 

実際、道中はただのウカレた家族旅行だった。

犬連れの旅は久しぶりだったので

子どもたちはテンションも高く、

お菓子を食べながら後部座席で犬たちと戯れていた。

つーか、

息子などしきりにポーポーにちょっかいを出しては、

鬱陶しがられていた(笑)。

 

ホリデーハウスにチェックインしてからは

子どもたちはすっかりホリデーモードに入ってしまって、

とても密教リトリートの気分ではなくなったらしい。

ゆっくりここでホリデーを楽しみたいと言う子どもたちに

犬たちを頼んで、

ダディンと二人でリトリート会場へ。

 

アティーシャセンターに到着したのは7時近かった。

1本道沿いに延々と続いていた雑木林や、

牛や馬がのどかに草をついばんでいた枯れた牧場からは、

別世界。

真っ暗な敷地に(建設中の)

グレート・スチューパがライティングされて、

ブッシュに不時着したUFOのように浮かび上がっていた。

なんだか異世界に迷い込んだ旅人にでもなったかのような気がした。

 

巨大なテントを張った仮設食堂では

ちょうど夕食が振舞われていた。

地元の仏教センターの仏友たちも何人か来ていた。

異国の地で思いもよらず懐かしい友と出くわしたかのように

再会を喜び合ってしまった。

 

殆どが先週の金曜、

リトリートが始まったときから参加しているとのことだった。

けれどリンポシェが実際に現れたのは月曜から。

私は、リンポシェは祈祷や瞑想の行には来られなくても、

法話はしてくれるのだろうと思っていたのだけれど、

どうやらそうでもないらしい。

 

みんなの話では、日によって。

早朝6時の祈祷にいらしたり、

朝食後の行に参加されたり、

今日は無理かと思ったら夜の法話に突如現れたり、と

相変わらずのマイペース。

リンポシェの行動は誰にも予測不可能なのだ、と笑っていた。

どうやらリンポシェには

会えたらラッキー!とでも考えていた方がよさそうだった。

 

リトリートというのは

現世から自身を隔離して行うわけだけど、

会場になっているグレート・スチューパのゴンパは、

浮世離れした不思議な静けさに包まれていた。

仏像やタンカが花々で飾られ、

リリックが展示されて、

壁には巨大な「21 Tara菩薩」のタンカが掛けられていた。

 

余談だけど、これは

高さが5階建てのビルに相当するほどの巨大タンカ。

去年フランスから、

私の地元のチベット仏教センターに贈られたのだが、

そのあまりのデカさゆえ掛ける壁もなく、

この2月に初めてビクトリア州立美術館に

ホワイトナイト祭の一環として展示された

という代物である。

 

なにしろ、ラマ・ゾパ・リンポシェに頼まれ

これを描いたフランス人のアーティスト本人でさえ、

完成した全体画をその日まで1度も見たことがなかった!?そうだ。

大きすぎて、自分のスタジオに広げて描くこともできず

布地の両端を巻いたまま、

少しずつ広げながら描いていったという。

 

とてもそんなふうに描いたのだとは思えない、

素晴らしいタンカに描かれた

多羅菩薩たちの微笑みを前に、瞑想した。

リンポシェの到着を待った。

 

だけどその夜、残念ながら

リンポシェは現れなかった。。。

 

代わりに、別の高僧の指導で

Vajrasattva金剛薩垂の瞑想をした。

 

リトリートには大勢の尼僧や僧侶が参加されていたので、

彼らの打ち鳴らすドラムやベル、

祈祷や読経、マントラの詠唱を聞きながら

浄化の瞑想をした。

ドラムやベルの音が鳴るたびに、その振動で

心にこびりついた垢や汚れが弾け落ちてゆくかのようだった。

うっとりするほど本格的な金剛薩垂の瞑想をすることができた。

 

その夜、街灯もない真っ暗な夜道で、

夫と私は帰りの道に迷った。

来たときとは違う道をちょっと不安な気持ちで走りながら、

車窓から見た風景は忘れられない。

 

今にも大地に落ちそうなほど低い夜空に、

とてつもなく大きな緋色の半月が浮かんでいた。

スーパー・ハーフムーン。

今年1月に見たスーパー・ブルー・ブラッド・ムーンよりも

もっと大きく、その月は垂れ込めていた。

その怪しく神秘的な輝きを眺めながら、

私はその特別な夜の空気を噛みしめていた。

 

 

翌日。

来る前は、早朝6時から始まる祈祷や瞑想、

Lama Chopa行から参加しようと思っていたのだけれど、

止めた。

リトリートには午後4時のリンポシェの法話から参加することにして、

それまでは家族でゆっくりホリデーを楽しむことにした。

 

久しぶりの愛犬も一緒のホリデー旅行に

はしゃぐ子どもたちと一緒に過ごしたいと思った。

考えてみれば、上の子は高校2年生になったのだ。

親と一緒の旅行を楽しんでくれるのも時間の問題だろう。

 

ともすれば今の生活が、この日常生活が

延々と続いてゆくかのような気がしてしまうものだけど、

決してそんなことはないのだから。

今この瞬間も子どもたちは成長しているし、

いつかは家を出てゆく。

ダディンと私も年を取って、

家族がバラバラになる。

その日は必ずやって来るのだから。

 

Emptiness―無常について瞑想してから、

Mindfulness―家族旅行を、心をこめて楽しんだ。

 

家族揃って、いつもと違うキッチンで食事をして、

愛犬たちを連れて、いつもと違う通りを散歩した。

19世紀に金鉱で栄えたベンディゴの街には

当時の名残りを留める優雅な建築物がたくさん残っている。

通りに並ぶ豪華な家々を楽しみながら歩いた。

それから子どもたちとゲームをしたり、

本を読んだり、日記を書いたり―

 

気を抜くと、

慌しい日常生活に心が流されてしまいがちだから、

ゆっくりと寛いだのは久しぶりのような気がした。

 

 

ラマ・ゾパ・リンポシェの法話には家族全員で参加した。

といっても、犬たちは置いて。

午後の部と夜の部と2日間。

 

昨夜リンポシェは現れなかったので、

もしかすると今日も会えないかも…と心配したけれど、

いらしてくれた!

午後も、夜も、翌日も。

幸運にも4回全て法話をしてくれたのだった。

 

リンポシェは国外の法話では英語のことが多いのだけど、

今回も英語だった。

7年前の脳梗塞で一時は話すこともままならなかったそうだけど、

今ではかなり明瞭な発音で、早口で。

とはいっても訛りもあるし、

私のヒアリングも怪しいものだけど、

同時タイプで英文の字幕スーパーがスクリーン上に流れるので、大丈夫。

私はもっぱらそれを読んでいた。

 

リンポシェの英語はユニークだ。

まずリズムと抑揚。

英語は日本語と違って、強弱アクセントの強い言葉だけれど、

リンポシェは、モゴモゴ話されているかと思いきや

突然、怒鳴るような大声になったりする。

それでハッと、うとうとから目が覚めたりして(って、ダメだろ、それ)。

 

また、形容詞や副詞をことさら繰り返して

話を聴く者の心に残してしまう。

「amazing, amazing, amaaaaaaaazing!―

アメージング、アメーージング、アメーーーーーージング!」とか、

「forever, foreeeever, not just for one day or two years,

forever, foreeeeeeeever―

フォレバー、フォレーーバー、ノット オンリー ワン デイ オア ツー イヤーズ、

フォレェバー フォレェーーーーーーバー」とか。

他では聴けないユニークさ。

 

何よりも私はリンポシェの笑い声が好きだ。

ダライラマ法王の笑いも一種独特だけど、

リンポシェは「ヒーヒー」と引き攣ったような、

オランウータンでも彷彿させかねない甲高い声で笑う。

でもってスクリーンには「Hee hee hee hee…」とかタイプされるのだ。

 

そんなユニークな英語で、

リンポシェは悟りを開くために絶対不可欠なエッセンスや、

菩提心、カルマについて話してくれた。

リトリートの独特の雰囲気の中で、

リンポシェの不思議な英語で語られる法話は

活き活きと、しみじみと心に迫ってくるのだった。

 

とはいえ子どもたちには退屈かなぁ…とも思った。

とりわけ字幕映画を見ることにも慣れていない

小6の息子には難しいか、と。

けれど意外にも二人とも真剣な顔で耳を傾けていた。

息子など時に隣の私に質問までしながら

最後の最後まで熱心に聞いていたのだった。

 

リトリートの法話の1部がネット上でもご覧いただけます。

▶こちらから

 

法話の後、リンポシェはたっぷりと時間をかけて

功徳の廻向をしてくれた。

祈祷して、読経して、マントラを唱え、タンバリンを打ち鳴らし―

タンバリンやドラムやベルの奏でるリズムに

僧侶たちの野太い詠唱が重なる。

心が、魂が震えてしまうような場で瞑想をすることができた。

 

 

リトリート最後の夜は後ろ髪をひかれながら

グレート・スチューパを後にしたのだった。

 

とぼとぼと真っ暗な夜道を、

懐中電灯の灯りを頼りに駐車場まで歩いていたとき

突如、息子が歓声を上げた。

 

「ねえ、見てよ!

星がすっごくキレイだから!」

 

見上げれば、満天の星空が広がっていた。

街灯もない田舎の夜空には

メルボルンの数倍の星々が瞬いていた。

 

「ねえねえ、南十字星はどこなのっ?」と興奮する息子に、

「あれがミルキーウェイで」とタディンが説明し始める。

 

懐中電灯を消して、家族4人で暫く夜空を眺めていた。

来たときの、木曜の夜空に浮いていた

神がかったほど大きな緋色の半月ではなかったけれど、

うっとりするほど神秘的な星空に圧倒されていた。

振り返れば、

ブッシュに不時着したUFOような

グレート・スチューパが青白い光を放ち建っていた。

 



翌日、

メルボルンに帰る前にアティーシャセンターに寄った。

ポーポーとチャールスにも

何かリトリートの恩恵に与らせてあげたかった。

 

昨日リンポシェは

動物や生き物の輪廻転生についても話してらした。

動物たちも転生を繰り返しているが、

なかでも犬や猫などペットになる動物は

人間にとても近い存在なので、

人に転生する日もそう遠くはいから、

できるだけ功徳を積ませてあげるといい、みたいな。

 

リトリートの事務所にいた僧侶に、

犬連れで来たので、愛犬たちにも

グレート・スチューパの周りを歩かせてあげたいのだ、

と頼んでみた。

 

リトリートの邪魔にならないように手綱を付けて、

グレート・スチューパのゴンパの中には入れないように、

と言われたけど、快く承諾してくれた。

 

ポーポーとチャールスは

普段はお散歩ともなると興奮してしまって、

ヒステリックにキャンキャン吠えまくるのだけど、

この日は来る前にもベンディゴ市内を散歩してきたせいか、

あり得ないほどおとなし~~~く車から降りてくれた。

 

晴れ渡った美しい初秋の青空が広がっていた。

早くも秋色に色づき始めた木々や

ユーカリの木々のそよぐ広大な敷地をのんびりと歩いた。

 

アティーシャセンターの平和な空気を乱さないように

ひっそりとお散歩しようと努めた。

グレート・スチューパの中では、

ラマ・チョパ行が続いているようだった。

 

スチューパの周りを半周くらいしたころ

向こうに大きな黒い犬がいるのに気がついた。

その犬はスチューパの傍に立ち、こちらを睨んでいたのだ。

そんなはずはないのだけれど、

一瞬、野生のディンゴかと思った。

 

周りに飼い主の姿はなかった。

繋がれてもいなかった。

身じろぎもせず、ただこちらを見つめている。

威圧的なほど超然と、ほとんど1匹狼のような威厳で。

ディンゴでなくとも、野良犬かも…

 

「マズイよ、ママ、帰ろう」と、息子。

「ポーポーとチャールスと喧嘩になっちゃうよ」

 

私も、引き返そうかと思った。

うちの犬たちはフレンドリーな犬とはとても言い難く、

他の犬を見ると(チビ犬のくせして)

牙を剥いて吠えかかってしまうから。

 

思い返せば、

この子たちをロストドッグホームから引き取ったとき、

オスのチャールスの方は腕白坊主の元気犬だったけど、

メスのポーポーの方は可愛そうなくらいに怯えて震えている

神経質な犬だった。

散歩のときなど私の足元に隠れるように歩いていたものだ。

 

それがだんだんとリラックスして、

愛嬌のある犬になってきた。

同時に態度もでかくなり、

いつの間にかポーポーは、出会う犬すべてに

ギャンギャン吠えかかるようになってしまったのだった。

まるでそれまでのジンセイのリベンジに出たかのように…

 

吠えても所詮は臆病犬なので

噛みついたりすることはないのだけれど、

つられてチャールスも吠え始める。

こちらはオスのせいか、勢い余って噛みつきそうになったりするのだった・・・。

獣医の話では、

メスのポーポーを守ろうとしているらしいのだけれど…。

 

ドッグトレーナーから講習を受けたこともあったけど、

私たちは未だにトレーニングできずにいる。。。

つーか、小型犬であることを幸いに、ほとんど諦めている。

向こうから犬が来たら、ひっそりと進行方向を変えるか、

抱き上げてしまうって感じで。

だけど手綱なしで、飼い主もそこにいないとなると、

厄介なことになってしまうかも…。

 

相変わらず黒い犬はそこに立ち、じっとこちらを見ていた。

私たちのいる位置が1段低くなっていたので、背の低い

うちの犬たちからはまだ見えないようだったけど、

2匹が気づいて、ヒステリックに吠え始めたら…?

ゴンパの中、リトリート行者たちの静寂は…?

だけどせっかくここまで連れて来たのに、

肝心のグレート・スチューパを廻ることなく退散っていうのも…

ぐずぐずと立ち往生してしまったのだった。

 

そのとき飼い主らしき人物が現れた。

途端にディンゴは愛らしく尻尾を振って、

おとなしく手綱をつけられたと、ほっとした瞬間、

甲高い笑い声が聞こえてきた。

「ヒーヒー」と、あのユニークな笑い声が。

 

ラマ・ゾパ・リンポシェだった。

 

偶然にも行を終えたリンポシェが

スチューパから出てきたのだった。

なんてタイミングなんだろう!

リンポシェがここを通ることが日に数回、

悪くすると1度もないことを思えば、奇跡的タイミングだった。

 

リンポシェは黒い犬に気づくと、足を止めた。

犬の頭を撫で、おもむろにマントラを唱え始めた。

 

どうしてあのとき、

この犬を恐いと思ってしまったのかわからない。

5分前のディンゴの面影はどこへやら、

その子は従順で聡明な犬然とお座りをして、

微動だにせず、おとなしくリンポシェの祈祷を受けている。

リンポシェはかなり長いこと祈祷をされていた。

いつのまにか、その周りに人だかりができていた。

 

祈祷を終えたリンポシェは5、6人の僧侶に囲まれて

ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

そのときは気がつかなかったのだけど、

私たちはちょうど僧院へと続く道沿いに立っていたのだった!?

あの黒い犬があのときこちらを睨み付けてくれなかったなら、

何分も前に通り抜けていただろうポジションだった。

だぶんリンポシェが出てきたことに気づくことさえなく、

スチューパを廻り終えていたことだろう。

 

「あら、ここにも犬がいるわ。

こんなちっこいのが2匹も」と

ポーポーとチャールスに気づいた、お付きの尼僧が笑った。

 

黒い犬に祈祷をした後だったので、

また足を止めることはないだろうと思っていた。

だけどリンポシェは立ち止まってくれたのだった。

不自由な体を折り曲げるようにして

ポーポーとチャールスを撫でてくれた。

 

ポーポーの手綱は私が引いていたので、

リンポシェが撫でやすいように抱き上げた。

チャールスの綱を引いていた娘も同じように抱き上げた。

するとリンポシェは犬たちの頭上で印を切り、

ぶつぶつとまたマントラを唱え始めたのだった。

 

幸運にも、うちの愛犬たちまで

リンポシェから祈祷を受けることができたのだった!

 

2匹分のせいか、さっきよりも長く祈祷をされていた。

その間、私はずっとマントラでも唱えるかのように

「Thank you, thank you, thank you…」と呟いていた。

私の腕の中で、人見知りの強い神経質なポーポーが、

吠えることも震えることもなく

おとなしく祈祷を受けていた。

 

祈祷を終えると、リンポシェが私に尋ねた。

「どこから来たのか?」と。

初めてリンポシェと言葉を交わしたときと同じ質問だった。

それから名前を尋ねてくれた。

 

日本人だけどメルボルンに住んでいるのだと答え、

自分の名前を告げてから家族を紹介した。

 

リンポシェはダディンの名前を

「Deityデイティ」と聞き間違えた。

奇しくもそれは「神仏」という意味なので、

僧侶も私たちも吹き出してしまった。

私とダディンとオージーの尼さんが

同時に夫の名前を言い直したのだが、

リンポシェはにこにこと言ったのだった。

 

「Never mind, you’ll become a deity

気にしないで、君は神仏になるから」、と。

そうして「ヒーヒー」笑いながら行ってしまったのだった。

 

半ば呆然として

半身を引きずるようにして一歩一歩、

だけど楽し気に歩いてゆく、

臙脂色の後ろ姿を見送っていた。

 

冗談にしても、

リンポシェから「神仏」と呼ばれるだなんて、

夫はなんてラッキーなんだろう!

 

それから、

ポーポーとチャールスを引き取る前に見た夢のことを思い出していた。

 

それは、飼い主がおらず殺処分されてしまう犬を

ロストドッグホームから引き取ってくるという夢だった。

夢の中で、

私は夫や子どもたちと一緒に引き取って来た小さな白い犬を

(なぜか)自転車の籠に入れ、家に帰るところだった。

はっきりと天空から声が聞こえてきた。

 

「そういう過酷な境遇にある犬を引き取って

大切に育てるということは、

その犬にとってだけでなく、

あなたたち飼い主にとってだけでなく、

宇宙的なプロジェクトにも叶う、

宇宙全体に恩恵のあることなのですよ」、と。

 

そうしてその朝、当時飼っていた愛犬ムムが

突然、逝ってしまったのだった。

肺癌だった。

ムムは3匹いた犬の最後の子だった。

 

昔、ダディンと私は3匹の犬を溺愛していた。

なのに、子どもが生まれてからは子育てに追われて

昔ほど愛犬たちのことを構ってあげられなくなった。

それが不憫で申し訳なくて、子どもたちが大きくなるまで

もう2度と犬は飼わないと思っていたのだった。

 

私はその夢見を、偶然だとは思えなかった。

突然ムムが亡くなった数時間前に見た夢なのだ。

罪悪感から行動するよりも愛情から行動しなさい、と

天からアドバイスを授かったような気がしたのだった。

そうして、年が明けてから引き取ったのが

この子たちだったのだ。

 

あれから8年が経ち、

ポーポーとチャールスがこうして

リンポシェから祈祷をしてもらえたことを思えば、

感慨もひとしおだった。

 

(よろしければ、

▶「ムム、ありがとう」2009年10月18日の日記

▶「ムムが逝った朝に見ていた夢」2009年10月23日の日記、

▶「2匹がウチに来た日」2010年1月15日の日記をご覧ください)。

 

気がつくと、

私たちを遠目に囲むようにして人だかりができていた。

地元のチベット仏教センターで通訳をしてくれている

M僧が近づいてきた。

愛犬たちがリンポシェに祝福してもらえた!と

喜ぶ私にM僧は言ってくれたのだった。

 

「リンポシェはあなた方の犬だけじゃなく、

家族みんなを祝福されたのですよ」、と。

 

「Wonderful, Wonderful, Wonderful!」と

向こうから仏友、ヘレさんが駆け寄ってきた。

自分のことのように喜びながら

私をぎゅっと抱き締めてくる。

 

ヘレさんは泣いていた。

ダディンの病気のことを知っているから、

私たち家族にとって、リンポシェの祈祷に

特別な意味があることを感じていたんだろう。

ヘレさんが泣いているので、私の涙腺まで緩んでしまった。

 

白く聳え立つスチューパの向こうに

真っ青な空が広がっていた。

ポーポーとチャールスにも少しでも…と思っていたら、

2匹のお陰で、

私たちまで祝福を授かってしまったのだった。

 


だけどまだ終わりじゃなかった。

 

スチューパの周りを廻ってからも

アティーシャセンターの広大な敷地の散歩を続けた。

カフェで一息つき、

お世話になったセンターを多少なりともサポートしたいと

隣接する売店も覗いてみた。

 

毎日の生活に使えそうな

腕にする21玉の緑色の数珠を見つけた。

去年、家族揃って

Green Tara緑多羅菩薩のイニシエーションを受けたので、

子どもたちにこれに似た数珠を贈ったのだけれど、

自分も欲しいな~と思っていた。

これとお香でも買って帰ろうと思ったとき、

息子が入ってきた。

 

息子はくるくると回す法具に引き寄せられていった。

私に使い方を聞いてきたが、

回すということ以外はよくわからない。

「そんなに気になるのならスタッフに説明してもらえば?

それでど~~~しても欲しければ、買ってあげるよ」

 

いつもならそう言われると、シャイで面倒臭がりな息子は

「じゃあ、要らない」と止めてしまうのだけれども、

この日は聞きに行ってしまった。

レジにいた長髪の元ヒッピー風おじさんが

息子にその説明書まで手渡して説明してくれた。

 

これは「Player Wheel」(祈り車、とでもいうのかな?)といって、

中にはマントラを書き連ねたお札が入っている。

これを回しながらマントラを唱えて、

一斉衆生の幸福や世界平和を祈ると

功徳が何倍にもなって願いが叶うんだよ、と。

 

「回してみれば?」と長髪おじさんに言われて、

息子はいくつか手に取って、くるくる回し始めた。

 

「二つ良いのが見つかったんだけど」と

私の顔色を窺いながら祈り車を差し出した。

なにやらゴージャスな金色のと、地味で小さな銅色のもの。

「値段が2倍くらい違うんだけど…

どっちがいいかな~」

 

どちらが欲しいのかは一目瞭然だった。

 

「きっと使うって約束してくれたら好きな方にしていいよ。

でも怒ったり、嫌な気分になったときには

自分の部屋に行って、まずこの祈り車を回して、

落ち着いてから次の行動を決めるんだよ」

 

「うん、約束する」と、息子。

「ママは? ママも気に入ったの、あったんでしょ。

買えば? 買ってもいいよ。ムゥも買うから」

 

それはそれは、ありがとございます。。。(^^;

 

生意気な息子に心の動きを見破られてしまったが、

実は私も、ムゥがくるくる回すのを見ているうちに

一つ、無性に引き付けられた祈り車があったのだった。

緑、赤、青、黄色の小ぶりな石

(に見えるけど、千円だし、ガラス玉ね)の入った、

銅色の小さな祈り車。

 

結局、

息子のゴージャス感あふれる金色の大きな祈り車と、

緑のアーム数珠と一緒に、それも買うことにしたのだった。

 

長髪おじさんは事務所にあった紙袋にそれらを入れると

にっこりと息子に手渡してくれた。

「たくさん廻して、こころを平和にするんだよ」

 

帰宅後、荷解きをしながらその紙袋を取り出して、

驚いてしまった。

そこに夫の名前が記されていたから。

 

「For Dadinn」

あろうことか、そこには

「ダディンのために」と手書きで書かれていたのだった。

 

その紙袋がリサイクルであることは明白だった。

けれどそこには

はっきりとダディンの名前が書かれていたのだった。

「ビルのために」でも「エリーゼのために」でもなく、

「ダディンのために」、と。

 

とても私には単なる偶然だとは思えなかった。

リンポシェがダディンの名前を

「神仏」と聞き間違えたことといい、

紙袋にかかれたこの「ダディンのために」といい…

 

これは、夫のために用意された

シンクロニシティだと思った。

天が彼を祝福しているのだ、と。

言い換えれば、

家族の誰よりも夫が今、この祝福を必要としているのだ。

実は、この数珠と祈り車は、自分のためにではなく

夫に贈るために買っていたのだと悟った。

 

彼の名前が記された紙袋に

数珠と祈り車を入れて、夫に贈った。

 

夫は「奇妙なこともあるもんだねぇ」などと言いながらも、

すごく嬉しそうだった。

彼も毎日毎日忙しそうだけど、

日に何度かは、この数珠と祈り車を廻して、

心の平安を保っていければいいなぁと願ってしまう。

 

息子の祈り車の方は勉強机の上に置かれている。

それを廻している姿は未だあまり見たことはないけれど…

 

 

こうして4日間のリトリート旅行は、

あっという間に終わってしまった。

一人で参加したいと願っていたけれど家族全員で参加して、

あまり行はできなかったものの、

思ってもいなかった素晴らしいリトリートになった。

 

 

チベット密教では

グルーとの絆は大切な精神修養の土台となるのだが、

リンポシェから祈祷をしてもらえたのだった。

 

私一人で参加していたのでは

到底あり得なかった展開だった。

夫一人でもなかっただろうし、

子どもたちや犬たちだけでは、

そもそも参加することさえ叶わない。

家族全員、

犬たちまで揃って参加したからこそ起こり得たことだった。

 

愛犬たちの幸福を願ったら、

自分たちももっと幸運に恵まれてしまった。

なんて素敵なパラドックスなんだろう。

 

私にとってリトリートの醍醐味は、

物質的な世界を越えた、目に見えない絆を感じられること。

今回もそれを体験できたから、とても、とても嬉しい。

 

リンポシェふうにいうならば、

アメージング、アメーージング、

アメーーーーージング!!!ある。

 



春ほころぶメルボルンから『インスタント・ニルヴァーナ』 

―2017年9月3日の日記から―

9月、メルボルンは春―


街路樹も、家々の前庭に覗く木々も、

そろそろ満開を迎える。

梅の木の小枝を彩る可憐な花も

モクレンの華やかな大輪の花も

息をのむほどに美しくて、

ハンドルを握りながらもついつい見惚れてしまうほど。

って、危ないか、それは…。

 

お陰様で家族も私も元気デス。

ダディンの方はホルモンセラピーも順調で、
経過も良好。

先週から化学療法に入った。

私も毎日、とまではいかなくても

キホン2日に1度くらいはレイキをしてあげている。

などというには、効果のほどは定かではないけれど、

ま、気は心ってことで。

 

前回書いたブログを読み直してみたら、

ショック感と悲壮感に溢れてる…。

今ではそれも落ち着いて、

毎朝シャンティデーヴァのアドバイスを胸に目覚めている。

 

その問題に解決策があるのなら、

解決すべく努力を重ねればいいし、

もしも何もできることがないのであれば、

心配しても仕方がない

 

みたいな…。

シャンティデーヴァ…でしたよね、確か?

ダライラマ法王も時々引用されてるし。

 

うじうじ俯いていても、にこにこ微笑んでいても、

冬枯れの通りは色めいてゆくし、

外はだんだんと温かくなってゆくし、

春の息吹を見逃したくはないし。

とりあえずは本人の希望通り、

殆ど以前と同じ“ふつー”の生活を送ってます。

 

夫に腹を立てる余裕もまたメキメキ盛り返してしまったし。

夫の方も以前同様、

小さなことでブーたれるようになったし。

くだらないことで対立しては、

みみっちい口論を展開している。

て、マズイよね、これは…。

 

そうだ、先日など

口論の現場を目撃した娘に諭されてしまったのだった。

ねえ、止めようよ、

2人とも、

器、小さいよ。

 

ご…指摘の通りです…。


このとき、心には

『ハリー・ポッター』のJKローリングさんが描写した

トランプ大統領評が去来していた。

前オバマ大統領や周囲の人たちを熱く攻撃する彼に一言、

ちっちゃな、ちっちゃな、ちっちゃな男。

 

ちっちゃな、ちっちゃな、ちっちゃな―

やっぱりキホン、嫌よね、それって。

イチオー親としての威厳あるし…。

 

昨今の私の座右の銘に照らしても、

「その問題に解決策があるのなら」って、

明らかに、あるだろ、この場合。

 

というわけで

極力、腹を立てず、
些細なことにはこだわらず、

雄大にやってゆこう、と改めて決意した次第デス。

まあ、気を遣い過ぎてもお互い疲れるし、

ストレスにしちゃったらそれも逆効果だし、

ほどほどに、ね。

 

そうすることが許される間は

Middle Way中道でやってゆこう、と思ってます。 

夫の治療や子どもたちのサポート、

仕事や執筆やボランティア、

仏教の勉強やタントラ行や―

どれもできるだけバランスをとりながら、ゆるゆると

 

思えば年明けの計画では

Tamago』から始まった『Someday Baby: IVF at 40』、

Tamago39歳の不妊治療』がやっと一段落着いたので、

6月に予定していた3週間の密教リトリートを終えたら

新しい作品に取り掛かろうと思っていたのだった。

リトリートで心と身体を清めてから、

新しい作品を考えよう、と。

 

けれど状況を考えて、結局

昔書いて未完のままになっていた小説を

編集発表することにした。

90年代後半に書いた処女長編

『インスタント・ニルヴァーナ』を。

 

破壊的カルト団体のマインドコントロールをテーマにした

サスペンス小説で、

執筆の切掛けは、夢見だった。

カルト教団の罠に嵌って、

逃げ出したいのに抜けられない、という悪夢で、

20年も前に見た夢なのに今でもありありと覚えている。

 

夢の中で私は

ど~してそんなことになってしまったものか?

コミューンカルトで暮らしていた。

24時間360度監視体制にあるような閉ざされた空間から

外の世界に戻りたいと切望しても、
時、既に遅し。

八方塞りだと悟ったときの恐怖と絶望。

 

遂に女教祖の怒りに触れ―

殺されそうになって目覚めたとき、

自分の首にかけられていた指の生温かさまで

はっきりと残っていたほど生々しい夢だった。

暫く頭から離れなくなってしまったほどに。

 

当時はオーストラリアの大学で

創作を英語で勉強していたのだけれど、

それから暇を見つけては日本から買ってきた

カルト宗教やマインドコントロールに関する本を読むようになった。

 

そうして99年に卒業した後は

3年間英語一色だったストレスを発散するかのように

日本語で作品の執筆に没頭し始めたのだった。

 

思い返せば、まだ東京に住んでいたころ、

プチカルト宗教をテーマに

SUIMIN薬』という短編小説を書いたことがあった。

もともと瞑想や神秘体験、霊的世界に興味があったうえに、

仕事でもニューエイジグループや宗教団体を

取材する機会もあったので、

心に感じていたことを表現したかったのだと思う。

 

そうして東京から海外へ生活の基盤を移し始めた

95年に地下鉄サリン事件という無差別テロが起きた。

日本を発つ前に実家でそのニュースを聞いたのだった。

 

どうしてこんなことに…!?

もしも自分も…?
瞑想やヨガや精神世界を追求しているうちに
1歩間違って迷い込んでしまったら…?

そう思ったら心底ゾッとした。

 

そのときの衝撃が『インスタント・ニルヴァーナ』の

種となったのかもしれない。

少なくとも、カルトのマインドコントロールに興味を持つ

切っ掛けとなったのは確かだ。

 

執筆を始めてから2年後の2000年末に

3部からなる長編小説が完成した。

どっぷり入れ込んでいたので、

キャラクターと別れるのが淋しくて

なかなか終わりにできないほどだった。(^ ^;)

そのまま出版したかったけど、

400字詰原稿用紙換算で1300枚という長さもあって、

未発表のままになっていた。

 

あれから15年以上の月日が流れ、電子書籍も普及した。

けれど社会から

破壊的カルト宗教やマインドコントロールの脅威が

消えたわけじゃない。


オーストラリアで生活をしていると、

むしろニュースで耳にする機会も増えたような気がするし。

一方、とにかく宗教はアブナイ、

精神世界に関するグループは怪しげだという風潮も

根強いような気がするし。

 

今更ながら、

宗教団体やスピリチュアルなグループと、
破壊的カルト集団は、

明確に分けられなくてはならない、と思う。

 

ますます心のケアは重要になっている。
心の問題や、精神世界や精神修養に興味をもたれた方々が、
健全な環境で、

その学びや実践を育むことができますように。
その努力が破壊的カルト集団の野心に踏みにじられたり、
悪用されてしまうことがありませんように。
そうして私たちの精神生活が

ますます豊かなものになりますように。

の作品が破壊的カルト集団や

彼らの操るマインドコントロールへの

関心の一助になることを祈って。

3部構成の長編小説なので、

3部作で出版することにしました。

 

先日、編集の終わった第1部を出版。

今後、第2部、第3部と出版してゆく予定です。

 

 

『インスタント・ニルヴァーナ1』

    マックあつこ著


もしもあなたの大切な人が

  カルトの罠に嵌ってしまったら?

 

退行催眠療法で前世を思い出したら

恐怖症が治ってしまった! 
編集部に届いた読者からの声に、
春日南は前世セミナーの体験ルポを始めた。
けれど南が思い出した記憶の欠片は前世ではなく、
トラウマへと続いていた。
やがて―


アラサー女性編集者、春日南
<コンタクト・セラピー・クリニック>催眠療法士、桜久美子
超能力を操るハンサムな<ニルヴァーナ>教祖、大河ヒカル
マインドコントロールに憑かれた元広告マン、森脇徹
<POL>に妻子を奪われた救出カウンセラー、久藤聡
美貌の女子高校生ハッカー、葵早紀


救出カウンセラー
VSカルト教団、
世紀末の東京でマインドコントロールが蠢く。


サスペンス長編3部作第1部。

『インスタント・ニルヴァーナ1』

アマゾンKindle電子書籍 199で発売中デス。

 

ご愛読のほどを、どうぞよろしくお願いいたします。
 



タマ旅―『Tamago―39歳の不妊治療』まで 

―2016年12月7日の日記から―

『Tamago―39歳の不妊治療』

アマゾンから電子出版しました!

無料サンプルをダウンロードして覗いてみてください。

ちなみにKindle Unlimited会員の方は読み放題デス。

 

これでこの小説は予期せずも

2009年に出版した『Tamago』

去年の英語版『Someday Baby: IVF at 40』

そして今回のリニューアル版

『Tamago―39歳の不妊治療』

3つのタイトルをもつ本になってしまった!わけで。。。

 

振り返れば、

私がこの小説を書こうと思ったのは、

娘がまだよちよち歩きのころだった。

あのときはまさかこの作品と

これほど長~いお付き合いになろうとは

思いもよらなかった。

 

今回はこの

『Tamago』の旅(タマ旅?)に触れてみようと思う。

 

私は娘の出産前にも長編小説を1作書いていた。

『インスタント・ニルヴァーナ』という

新興カルト宗教のマインドコントロールを扱った

サスペンス小説だった。

400字詰めで1200枚を超えていたので、

一つ賞に応募してからは、

なかなか他に送れる賞も見つからず、未刊のまま。

その敗因を胸に、次はもっと自分の生活に合ったテーマで、

長さもその半分で書こう、と決めていた。

 

ちょうど二人目を妊娠しようと

不妊治療を再開したところだったので、

それをテーマに書いてみてはどうだろう、と思った。

娘は不妊治療で授かったのだけど、

そのとき不思議な体験をしていたので、

何か素通りできないものを感じてもいたから。

 

作品のバックグラウンドになる治療に関する情報は

完璧なものが取れるだろうし、

リアルな作品が書けるかもしれない、と

『たまご時計』をタイトルに書き始めたのだった。

 

とはいえ育児の真っ最中で、

2歳になったばかりの娘はちょうど手がかかりまくるころ。

不妊治療もあるし、家事も家業もあるしで、

なかなか執筆の時間が取れない。

早朝や夜中に起き出してみたり、

思い切ってナニーさんを頼んでみたりと、

いろいろ試してはみたものの、筆は進まず…。

 

そんなとき、

失敗続きだった体外受精がやっと実を結び、

妊娠!

喜んだのも束の間、結局

子宮外妊娠であることが判ったのだった。

 

せっかく授かった子を今度は摘出しなければならない…。

病院のベッドで一人泣きながら手術を待っていた。

 

けれど泣いていても心は酷くなるばかりなので、

瞑想することにした。慈悲の女神、

チベット密教のターラ尊を観想し瞑想し続けていた。

 

途中、手術医が現れ、

説明を終えた彼が病室から出てゆくのを見送ったとき

思った。

この体験を書き留めておかなくては、と。

 

病院の売店に走って、ペンとメモ帳を買ってきた。

それから自分の身に起こっていることを

書き留めていったのだった。

 

翌日、空っぽの子宮で退院してからはまた、

何事もなかったかのように、

娘と夫と愛犬3匹との生活に追われる日常に戻った。

けれどもう再び、あのメモ帳を開くことはなかった。

小説の執筆を再開することもなかったのだった。

 

メモ帳を開いたのは、

それから2、3か月経ったころだったと思う。

 

夫がエンジェルカードを贈ってくれた。

彼はその手のものを好むようなタイプではなかったから、

私のことを心配してくれたのだろう。

 

封を破って箱を開け、1枚を引いてみた。

赤ちゃんを抱いた天使のイラストが描かれたカードだった。

メッセージが添えられていた。

 

「Your children on Earth and in Heaven are happy

and well cared for by God and the angels.

この世とあの世と、あなたの子どもたちは幸せで、

神と天使に慈しまれていますよ」、と。

 

一瞬にして閉じていた心と身体が震えてしまった。

私は声を上げて泣き出していた。

手術以来、泣いたのは初めてだった。

泣いて泣いて、大泣きして、思った。

 

あの小説を書きあげなければ、と。

書かなくては、

あの体験を無駄にしてしまうような気がした。

無駄にしてしまったら、

生まれてこれなかった子に申し訳ない、と。

 

それからは失くしてしまった子どものことを考える代わりに

小説の執筆に打ち込んだ。

早朝4時起きを日課にして、毎朝書きつづけた。

そうしてそれは娘が5歳、

息子が1歳を過ぎたころに完成し、

完成した作品は、

当初のプロットから全く違ったものになっていたのだった。

 

 

小説は完成したとはいっても本になる目処はなかった。

依頼原稿でもなく勝手に書いた作品なので、

これから出版社を探さなくてはならない。

 

まずは手っ取り早く賞に送ってみようと思ったものの、

原稿の枚数とジャンルとタイミング的に

適当な賞が見つからなかった。

結局、締め切りもジャンルも枚数制限もなく、

常時募集中の、受賞すれば単行本化されるという

某大手出版社の文庫大賞に送ってみた。

 

ところがなぜかその後、

その出版社の応募した覚えもない賞から

選考の詳細に関するお知らせが届いた。

編集者が勝手にそっちの賞に回したのか、単なる手違いか?

いずれにしてもこれも何かのご縁、

案外うまくいってしまうかもと、

ぼんやりと半年ほど待ってみた。

というのも、当時は(今もかな?)1度応募したら

他賞に応募することは禁止されていたので。

 

が、敢え無く落選。

そこで今度はどこか

「持ち込み原稿可」の出版社はないものかと

ネットで探してみた。

中堅の出版社を見つけ、原稿を送ったところ、

編集さんから連絡を頂きお会いすることに。

どこかの賞に送れば最終選考には残るだろうと

好意的だったものの、

結局そこから出してもらうことは叶わなかった。

 

それでもお陰で、満更でもないのかも…

と考えることができるようになったのだった。

その後もう一社、

持ち込み原稿に門戸を開いている出版社を見つけて、

送ってみた。

 

 

それから3~4か月後―

ひょんなことからオージーの友達に誘われ、

霊視Psychic Readingをしてもらうことに。

驚いたことに、

その霊能者はすぐ私の執筆について話し始めたのだった。

 

聞いてもいないのに、今取り組んでいる小説に触れ、

赤ちゃんが見えると作品のテーマについて言い当てて、

その原稿には多くの可能性があるから、

自分で過小評価して諦めてしまうべきじゃない。

原稿を受け入れる出版社が一社あって、

書き手としてのあなたのパートナーさえ見つかれば

成功するから、と。

 

書き手である自分のパートナー? 

ちょっと意味不明?、でもWow!

半信半疑ながら喜んでしまった。

きっと原稿を送ったあの出版社から

OKの連絡が入るのだろう、と単純に思っていた。

 

ところが、

その2日後、なんと原稿が送り返されてきたのだった!

文体が嫌で読み進む気になれないからお返しします、と。

 

ガーン…

それにしても、なんてタイミングなんだ…

 

手紙に記された男性編集者の名前を前に、

そりゃそうだよね、不妊症に悩む女性の話なんて

きっと男の人には興味ないよね。

文体だって、タイプのわけがないよね。。。

などとは全然っ思えなかった。

作品どころか、書き手としての自分を全否定されたような

気さえしてしまって…。

 

そうして、あっさり、

原稿放置。

次作に取り組むことにしたのだった。

他に送れそうな出版社も見当たらなかったし、

2008年当時、

日本ではまだ電子出版もそう普及していなかったし。

 


それから間もなくして

当時会員になっていた全作家協会の先輩作家さんから

某大手自費出版社から出版してはどうかとメールを頂いた。

 

自費出版は、全く考えていなかった。

出版しても本屋や流通には回らない、

という話は聞いていたし、

興味もない友人知人に送ったところで

ハタ迷惑なだけだろうし。

基本的に、ダメだったら、前回同様またそのままにして

次の作品にとりかかろう、と思っていたから。

 

けれどそこは某大手出版社の子会社なので

流通にも長けていて、

親会社から再出版と販売をしてもらえる

可能性さえあるという。

ここでふっとあの霊能者さんの言葉が脳裏を過り…

 

どうしよう?

思い切って、本にしてみようか?

今まで数人が読んでくれたけど、殆ど男性ばかりだった。

だけどあの小説は女性に向けて書いたのだ。

妊娠や不妊症がどこかで気になる女性たちに。

今まで自費出版なんて考えてもいなかったけど、

流通してもらえるなら、

それで本が読者に届くかもしれないのなら、

試してみる価値はあるんじゃなかろうか?

 

だけど「試してみる」にはコスト、あまりに高っ!

これでは日本でKの新車が余裕で買えてしまう

ではないかっ!

でも

このままあっさり諦めてしまっていいものだろうか?

あの霊能者だって…

でもコストが…

 

ちょうどママ友たちと

Mind Body Spirit Festivalというイベントに

行く機会があったので、

そこでまた霊視をしてもらうことにした。

と、言葉は違えど内容は同じ。

むむむ…

 

結局、腹をくくって、

清水の舞台から飛び降りる気で

やってみることにしたのだった。

 

 

そうして―

敢え無く墜落。

全身打撲。

 

正直この時期、かなり混乱してしまった。

霊視だけでなく、自分でも夢やビジョンを見たり、

シンクロニシティを経験したりしていたので、

自分の直感自体がまったく信じられなくなって。

 

お金のこともさることながら、育児のことを一番後悔した。

やっと授かった子どもたちなのに。

毎朝4時に、時には夜中から起き出して、

「ママ、ママ」と

ベッドから自分を呼ぶ子どもたちに我慢を強いて、

書き続けた結果がこれなのか?

 

そう思ったら、もう書けなくなった。

執筆なんかで時間を無駄にするくらいなら、

できるだけ子どもたちと一緒にいてあげよう、と。

 

 

そんな折、ママ友のご縁で地元の図書館から

本のBook Launch出版記念会をしてはどうか

というお話を頂いた。

半年は過ぎていたから今更、出版記念でもないのだけれど、

ありがたいので、文芸モーニングティーを開くことにした。

 

土曜の午前中、図書館にママ友たちが集まってくれた。

子どもたちを預け、

中にはケーキまで焼いてきてくれた方まで!

ありがたかった。

 

だけど、そこに集まってくれた方々は

本の読者からは遠い人たちだった。

あの本は不妊症に苦しみながら

赤ちゃんを望んでやまない女性の話なのに、

彼女たちは子育て真っ最中の母親たちなのだ。

自分の時間は1分だって惜しいだろうに。わざわざ…。

 

さすがに思わずにはいられなかった。

自分はいったい何をやっているのだろうか、と

 

そのうえ、大恥を承知で告白してしまうと、

ダメ押しの惨事も…。

 

本の出版記念会の話が来たとき、それにしても

霊視とずいぶん結果が違うじゃないか、とふっと思った。

もしかして、聞き間違え? 英語だし?

思わず録音してもらったCDを聞き直せば、

Self-doubt自己疑惑が大きな障害となっているから

「自分は必ず成功する」と書いた紙を

書斎に貼っておくようにと言われている。

 

もしかして、

これを実行しなかったことが敗因の原因とか?

あのときは、なんだか情けない提案なので

スルーしてしまったけれど、

もしやこれを実行しなかったことが敗因の原因??

いや、まさか、そんな。でも…

いずれにしても、失うものなど何もないのだから、

ダメ元でやってみても…。

 

それでもさすがにでかでかと書いて

壁に貼っておくのは恥ずかし過ぎて憚られたので、

小さな紙に「マックあつこは成功する」と書いて、

栞がわりに『Tamago』の本に挟んだ。

そうして当日、もはやそんなことはすっかり忘れて、

「成功」栞を挟んだまま

サンプル本として会場に展示してしまったのだった!

 

うっきゃぁぁぁぁぁ~~~~

恥ずかしいよ~~~~~~~~

バカ過ぎるだろ、自分!

 

あまりに情けない、

自らの記憶から抹殺してしまう以外に

(できれば他者の記憶の方をデリートしたかったけど)

対処しようもあり得ない、

とほほほ…事態なので、即忘れることにした。

そうしてこのとき決意したのだった。

絶対にもう終わりにするゾ、と。

 

 

けれどその数か月後、全作家協会から連絡を頂いた。

前年度の会員の出版物に贈る全作家出版賞を

今年は『Tamago』に贈ってくれる、と。

そう言ってもらえると、ありがたくも嬉しくて、

絶対終了宣言もどこへやら、

授賞式に出られるかとか聞かれ、

ちょうど祖母の1周忌と重なっていたので

日本に一時帰国することにしたのだった。

 

祖母が亡くなったのはその1年前、

『Tamago』を出版してから4か月後のことだった。

 

その日の午後、なぜか私は突然瞑想したくなり、

瞑想を始めて間もなく

祖母が亡くなったことを悟ったのだった。

祖母が既に亡くなっていた両親や姉妹たちに囲まれて

現れたから。

母からも知らせを受け、

急遽、日本へ帰ることにしたのだけれど、

あのときは不思議なことがいろいろとあったのだった。

 

あれから1年が経ち、祖母の1周忌の墓前で、

私は『Tamago』が全作家出版賞を頂いたことを報告し、

去年のお葬式のことを思い出していた。

祖母との最後のお別れで、妹が棺に

祖母へのメッセージを書いた私たちの漫画単行本を入れた。

続いて私も『Tamago』を入れたところ、

司会の方から

「こちらは未だ入れない方が宜しいかと思われます」と

取り出されてしまったのだった。

 

まさか涙ながらに入れた品を突き返されてしまうとは

思ってもいなかったので憮然としてしまったのだけれど、

その瞬間、

祖母の存在をはっきりと傍に感じたのだった。

この本をあの世に送ってしまうのは未だ早いよ、と

祖母に言われたような気がした。

 

祖母の一周忌を終え、メルボルンへの帰りの飛行機の中で

私は自問していた。

これで終わりにしてしまって、

ほんとうにいいのだろうか、と。

 

その数か月前、

シドニーで開催されたダライラマ法王の講義ツアーに

参加した夜に見た、鮮やかな夢が思い出された。

若い女性が『Tamago』を胸に抱え

通りを歩いてゆくのに気がついて、

ハッとしているという夢だった。

 

自分の願いが現れただけの夢だったのかもしれないけれど、

それでも改めて認識せずにはおれなかった。

あの本は未だ、自分が送りたいと願っている人たちには

少しも届いていないのだ、と。

 

 

『Tamago』の英語版を考え始めたのは

このころからだった。

 

とりあえず、初めの3章を訳して、

文学エージェントに送ってみることにした。

インターネットでアメリカの文学エージェントを調べて、

自分の作品に合いそうな会社を選び、

規定に沿ってシノプシス(作品の概要)やサンプル章、

著者歴なんかを添えて、数社に送ってみた。

これでダメならそれで良しとしよう、と心に決めていた。

 

すると、作品を読んでみたいから全原稿を送ってほしいと

ニューヨークの文学エージェントから1社、

連絡が届いたのだった!

 

けれど送れる英語の原稿は未だ揃っていない。

仕方ないので正直に、実は日本語で完成してはいるものの、

まだ英訳が全部終わっていないのだと伝えたところ、

終わるまで待つから送ってほしい、とのことで!

 

嬉しかった。

けれどやはり先は、長い。

全訳は、キツイ。

医学の専門用語も多かったし…

数章訳して、既に疲労困憊。

 

 

そんなおりダライラマ法王から『菩薩戒』を授かる

という機会に恵まれた。

思いもよらぬ幸運に心を改めつつ、

『Tamago』のことが思われた。

 

あの作品を

菩提心を胸に、もう1度始めてみてはどうだろう?

 

今までもそうしてきたつもりだったけど、

こと不慣れな営業ビジネス分野、

出版・販促過程に入ってからは、程遠く―

思えば、

編集者から原稿を送り返されたときに

傷ついてしまったのは、自分のエゴの心だった。

あの「とほほほ…栞」を

『Tamago』に挟んでしまったのも、小我の心で…。

 

もう一度、大我からあの作品に取り組んでみようか。

訳だけでなく、出版や販促までも。

 

そもそも英訳だって、もっと読み手の立場に立てば、

贅肉を削ぎ取って、臭みを抜けるハズだし。

自分の原稿なのだから、原文に忠実である必要もないし

書き換えてしまえばいいのだ。

訳すというよりも、

むしろ英語で書き直すような気持ちで、やればいい。

 

そうだ、『Tamago』のときには触れなかったけど、

今度は「後書き」に記そう。

この小説を書く原動力となった

3つの神秘体験についても触れよう。

あれを書かなければ、作品も理解されないだろうから。

 

今度こそ、読み手の心に届くことを願って。

 

 

そうして出来上がったのが、

去年出版した『Someday Baby: IVF at 40』だった。

 

英語だから『Tamago』より

表現力もつたなくなってしまっただろうし、

読んでくれた方の心に届いたのかもわからない。

それでも、自分が本当に伝えたかったことは、

むしろ表現できたような気がしたのだった。

 

そう思ったら今度はそれを反映させた

リニューアル版『Tamago』を本にしたくなってしまった。

 

だけどまた大枚をはたいて

自費出版をするような経済的ゆとりもないし。

でも、電子出版なら?

アマゾンのKindleとか??

いやいや、ムリ、無理。

e-bookを自分で出すなんて、

私のPCスキルではとても無理だ。

 

だけど―

日本語だし。

表紙もあるし。

もしかして、やれるんじゃ…?

 

出版元に問い合わせ、

電子出版できるよう解約をお願いした。

単行本の表紙を電子書籍に使ってよいかと尋ねたところ

社のロゴを消せば問題ないという。

 

やってみよう、と思った。

年が明けたら、原稿に手を入れて編集し直して

電子書籍化しよう、と。

 

とはいえ、

この1年が病と浄化の年になってしまったせいで、

予定よりかなり遅れてしまったけど…。

それでもなんとか

キンドルから電子書籍を出版することが叶ったのだった。

 

 

こうして長かったタマ旅も終わりに近づき、

自分的にはやれることはやったという気がして

ホッとしている。

あのときの子は育てられなかったけれど、

なにかこの本を育てたことで自分も成長できた、

癒されたような気もして…。

 

 

2016年もそろそろ終わりますね。

皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

 



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