『ユーカリの木陰で里の行』


ブログ『ユーカリの木陰で里の行』

本や執筆、チベット密教やスピリチュアルな話、家族や愛犬、メルボルンの暮らしなんかをゆぅらりと綴っています

 

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キャンプdeリトリートと夢見 

―2018年5月10日から12日の日記から―

前回のブログに、家族(愛犬2匹も)で

6週間の密教リトリートに

4日間だけ参加してきたことは書いたけど、

実は密かにもう1度、参加したいものだと思っていた。

去年から仏教友達(ブツトモ)メリちゃんとも

一緒に行こうと計画してたし。

 

けれど実際、蓋を開けてみれば

なかなかお互いの日程が合わず、

やっと合ったと思ったら、

今度は宿泊施設の予約が取れずで、

そうこうするうちメリちゃんの方は体調を崩してしまった。

 

私も止めようかなぁ…と思ってきた。

ベンディゴまで高速飛ばして自分で運転するなんて

絶対に無理だし、

もう家族で素敵なリトリートを体験してきたのに、

これ以上を望むのは贅沢かなぁ、もういいかなぁ、とか。

 

そんな折、夫が5月第1週の週末に

2泊3日でリトリートに参加してくると言い出した。

でもって、今回は早朝のお勤め行から参加したいから

リトリートが開催されている

アティーシャセンターに泊まってくる、と。

 

え~、でもテント生活だよぉ。

寒いよぅ。

大丈夫なのぅ?

 

などと私が案じるまでもなく、

アティーシャセンターのテントは既に満室、

ならぬ満テント。

 

それでも夫は怯むことなく

近所のアウトドア・ディスカウント店に向かい

3千円の小型テントをゲット。

そうしてベンディゴまで一人で運転するのはしんどいから

電車やバスを乗り継いで行く、と

テントや寝袋やマットやらを抱え、旅立ったのだった。

 

複雑な心境だった。

その日はしとしと小雨が降っていたので、

この雨でキャンプなんて、

体調も万全てわけでもないのに大丈夫なんだろーか?

と夫を案じる気持ちと、

なんとなく先を越されてしまった感で・・・。

 

思わず自分に問いかけていた。

リトリートは後1週間で終わってしまうけど、

行かなくてもほんとにいいの?と。

 

ちょうど、リトリート最終日の5月12日土曜日に

ラマ・ゾパ・リンポシェの

Long Life Pujaが予定されていて、

一緒に行こうと仏友クリさんから誘われていた。

早朝に発てば日帰りで行って来れるので、

せめてこれだけでも行ってこようと思った。

 

クリさんとその相談をしているうちに

どうせ行くならプージャだけでなく、

リンポシェの法話とか

リトリートの方にも参加したいねってことになってきた。

でもプージャ前夜は準備のため法話は、ない。

ならば法話最終日の10日から行こうって話になって、

そのうち、せっかくだから法話だけじゃなく

瞑想や祈祷や朝のお勤め行にも参加しよう

ということになった。

だったら、リトリート会場のアティーシャセンター内に

泊まった方がいいんじゃないか、と。

 

そう、テント・・・。

仮設トイレに、仮設シャワー、洗面所の類は無しっ。

 

当然また考えた。

それで大丈夫なのか、自分っ!?と。

 

だけど、リンポシェはご高齢。

この先お元気で長寿を全うされたとしても、

赤道を飛び越えて遥々また

ダウンアンダーの地に来てくれるかどうかはわからない。

要はこれが最後のチャンスかもしれないのだ。

確かに

キャンプ生活6週間では

一も二もなくあわわわ・・・ではあるけれど、

たかが2泊3日なら、

こんな自分でもなんとかなる!のではなかろーか?

 

単にシャワーは浴びなければいいし、

顔は洗わなければいいのだ。

2、3日くらいシャワーなんか浴びなくても、

顔なんか洗わなくても、なんてことはないっ。

もしかすると匂ったりして、ハタ迷惑かもしれないけれど、

考えてみれば周りの人たちだって同じ穴の狢、みたいな・・・

 

ただ歯磨きだけは怠ってしまうと

後で歯槽膿漏とかになって、

歯科医療に大金注ぐ羽目になっては堪らないから

(基本オーストラリアの医療保険に

歯医者は効かないもので…)

マウスウォッシュで口内消毒だけはきちんとしよう、

と心に誓った。

 

そんな切羽詰まった決意の甲斐もなく、

アティーシャセンターはこの週も、満テン。

やっぱりこれは、ご縁かなかったってことで…?

 

そうこうするうちにダディンがリトリートから戻って来た。

出発したときに漂っていた

「人生に疲れたおやじウサギ」的ヨレヨレ感はどこへやら

意気揚々とお土産だと数珠を手渡してくれた。

先月、家族で参加したリトリートで

自分が貰ってしまった緑色の数珠の代わりだ、と。

 

それから夫は、やっぱり行って良かった的

たくさんのお土産話を披露してくれてから、言った。

行ってくれば?と。

 

言われなくても、

話を聞いているうちに益々行きたくなっていた。

アティーシャセンターが満テンであるのなら、

いっそこのちんけ(だけど軽くて持ち運びに便利そう)な

テントを持って行こうか?

 

けれど夫の話では、

このいかにも弱々しいテントは実際あまりにちゃち過ぎて、

雨も降っていないのに雨漏りしてくるんだそうで…。

暫く寝ていると、

外気と内気の気温差が冷た~~~い水滴となって、

端からポタポタ漏れてくるらしい…

これにクリさんと2人で2晩っていうのは、ちょっと…

 

「それより、ヘレさんのテントに泊めてもらえば?

彼女のテントは大きいし、

君は来ないのかって聞いていたし」

と夫は仏友の名前を口にした。

私の脳裏にも彼女のことが浮かんでいた。

リトリート前にも

「良かったら泊まりに来て」と言ってくれていたから。

 

そこでヘレさんに連絡をしてみたところ、

金曜からキャサリリンも来るから

クリさんと私たちで、

4人のキツキツの雑魚寝になってしまうけれど、

それでよければ、と言ってくれたのだった。

 

 

こうして5月10日から

2泊3日でリトリートに参加することになった。

 

結局クリさんは仕事で来れなくなってしまったのだけど、

私の方は電車で決行。

もうど~しても、何があっても参加するゾと

心は決まっていた。

 


当日は、夫が発ったとき以上の冷た~い雨だった。

電車を乗り継ぎ、会場のアティーシャセンターに着くと、

ヘレさんが迎えに来てくれた。

テントに荷物を置き、午後の法話に出るために

グレート・スチューパ(仏舎利塔)へ向かった。

 

会場のゴンパにはあのとき同様、

凛とした静けさが漂っていた。

奥の椅子に座ろうかと思ったけど、

中央に一つ開いている(と思しき)

テーブルと座布団を見つけた。

席の主は今日リトリートを終えて帰ってしまったとのこと。

ドタ参加にも関わらず、

前の席で半跏趺坐を組みながら受講できる幸運に感謝しつつ

瞑想をしながらリンポシェの到着を待った。

 

ここまで来たのに会えなかったら残念過ぎる・・・

と思っていたけれど、

ラマ・ゾパ・リンポシェは

予定されていた全ての行事にいらした。

そして今回もとても印象的な話をしてくれた。

 

とりわけ私の心に響いたのは「怒り」について。

 

チベット仏教で、怒り、執着、無知(無盲)は

3大有害要因と見なされているけれど、

なかでも怒りはパワフルに破壊的な感情で、

怒りに任せてとった行動はたいてい、つーか、

十中八九、ロクな結果は生まない。

緻密に努力を積み重ねて得た結果とは、雲泥の差。

 

この「怒り」の処方箋が「忍耐」である。

ただ「忍耐」の意味が

普段使っているそれとは微妙に違って、

闇雲に我慢して受け入れなさい、ということでは

決してない。

受け入れ難いことはもちろん拒否してもいいのだ。

そうではなくて、

もっと重要なことを守るため、達成するために、

英知と心の鍛錬によって

外的出来事に心を乱されない状態、

平常心を培うことにある。

忍耐とは、

周囲の状況がどうあっても掻き乱されない不動の心だ。

 

と、頭ではわかっているのだけれども…

実は、このリトリートに参加する2日前に

怒りに関するスピリチュアルな夢を見ていた。

義理の家族関係のトラブルがまた起きて、

どうしたものかと考えていたせいか、

それに関連する夢を見たのだ。

 

夢の中で、私は義母に対して腹を立てていた。

彼女に怒る理由について、

様々な過去の事件やいざこざを思い出しては

挙げ連ねながら、

両手で何か団子のようなものを捏ねていた。

そして、両の掌の中で

ドス黒い泥団子のようになったそれを

捨ててしまおうと放り投げたとたん

突然その先に、観音様のタンカが現れたのだ!?

 

しまった!

と思ったときには、時遅し。

私は観音様に向かって

小汚い泥団子を投げ付けていたのだった。

 

ハッと目覚めた瞬間に思った。

それが何であれ、自分が作り出すものが

この人生の供物となる。

私は人生で日々いかなるときも、

できる限り美しいもの

愛しいものを作り出して、捧げなければ、と。

 

義理の母親は、私がオーストラリアに移住したころ

慣れない海外生活に右往左往する私のことを

「My Little Slave―私のちっちゃな奴隷さん」と

冗談交じりに人前で口にしていたような人だった。

 

奴隷って…

オーストラリア英語では、ふつーの言い回し?なの???

戸惑いつつ夫に尋ねるたび彼は母親を庇っていた。

 

ある日、夫は嬉々として言った。

「ほら、今日は君だけじゃなく、

ぼくのこともMy Little Slaves―

私のちっちゃな奴隷さんたちって呼んだだろう?」と。

 

そんな二人を「My Little Dummies―

私のちっちゃなおバカさんたち」と微笑み返すには、

義母は近くに住み過ぎていたし、

人生の転機からくる私のストレスは大き過ぎた。

 

ちなみに夫には妹と弟たちもいるのだけれど、

後にも先にも義母が彼らの伴侶を

My Little Slaveと呼ぶのを聞いたこともないし、

彼女以外、私のことを

そう呼んだオージーにも会ったことはない。

 

万事がそんなだったから、

義母や、義理の家族と私の間には確執が絶えず、

いつしか私の中では根深い怒りとなっていった。

 

その怒りをはっきりと自覚したのは、3年前に

ダライラマ法王のリトリートに参加したときだった。

イニシエーションの後の夢見で、夫の家族に

自分でもびっくりするほど強烈に怒っている夢を見たのだ。

それまでも不和や嫌悪感は自覚していたのだけれど、

よもやこれほど凄まじい怒りだったとは思っていなかった。

 

そのときは、どうしてこんなに大切な夜の夢見で、

スピリチュアルからは程遠い

怒れる夢なんかを見てしまったのだろうか?と戸惑った。

けれど後で勉強するうち、そのイニシエーションが

怒りの克服と関係していることを知り、

なるほどなぁ、と納得したものだった。

イニシエーションを授かる前夜の夢見では、

浄化をしなさいという

清々しいスピ夢を見ているから、明らかに

この怒りを解消する必要がある

ということなのだろう、と理解した。

 

以来、その怒りの解消に取り組んできたのだけれども

未だに今一つ浄化できてはいなかった。

ああ、良かった、浄化したとか思っても、

義母や義理の家族関係の新たな事件が持ち上がるたびに、

ぶくぶくとマグマのように

また怒りが湧き上がってしまうのだ。

それは夫婦不和となり、

家庭の平和さえ時に危うくしてしまう。

 

以前は子どもたちが可哀想だと思っていたけれど、

今は夫の病気のこともある。

いつまでも怒ってる場合じゃないだろ、と

頭ではわかっているのだけれども…

 

リンポシェは、怒りの本性やカルマ的弊害、

敵だと自分がレーベルした人物に対する心の投影や、

そのEmptiness空性、

怒りを利用して悟りへと至る道について話された。

 

そうして「怒り」を「空」の理解や英知によって克服し

めでたく「悟り」を開くことができたなら、

その「敵」が、今度は

ものすごぉぉぉく得難い「恩人」になるのだ、と。

 

リンポシェの口調を真似れば、

Amazing, Amazing, Amaaaaaaaazing!!! な

ハッピーエンド(?)になるというわけだ。

 

確かに、それが実現できたら、

ワンダフル、ワンダフル、ワァ~~~~ンダフル!!!

なのではあるけれど、

自分が実践するとなると、

いやいやいや、とてもとてもとても…

今世の自分にはハードル高過ぎだし…

 

まあ、悟りはともかく、この問題に対処する

前向きなインスピレーションを授かることができた。

これから義理の家族関係の問題でまた悩まされたときには

夫と口論になる前に、少なくともまず瞑想して、

リンポシェのこの視点を熟考してみよう、と。

 

 

リンポシェは「癌」についても触れられた。

現代は多くの人が癌で亡くなるが、そのときカルマ的には

ものすごぉく強烈な浄化が行われているのだ、と。

何世もの人生でするような負のカルマの浄化を

その病気を体験することで成し遂げてしまう。

それをラム・リン、菩薩道の姿勢で臨むとき

その浄化のプロセスは益々とんでもなく速くなるのだ、と。

 

話を聞きながらダディンのことを考えていた。

夫は去年ネットでリンポシェの癌に関する法話を読み、

感銘したと言っていたことがある。

実際に自分が化学療法を受けて大変だったとき

リンポシェのアドバイスを思い出して

体験するようにしているのだと言っていた。

 

苦痛を自分のためではなく

他者のためにと考え、受け容れる。

同じ病気で苦しんでいる他の人たちのことを思い、

自分がみんなの分も引き受けるから、

もう誰も2度と

こんな苦しみを味わうことがありませんように、と

祈りながら体験する。

そうすると自分も楽になるのだ、と。

 

チベット大乗仏教では基本的な心の鍛錬法で

瞑想にもよく使われる手法なのだけれども、

実生活で実践するとなると、難しい。

このときは夫のことをすごいなぁ…と思ったものだった。

 

そんなことを思い出したとき、リンポシェが言われた。

菩提心から癌という病気を体験するとき

途方もない浄化が行われるので、

来世か、来々世で神仏になることも可能だ、と。

 

前回のリトリートでのことが即座に思い出された。

リンポシェは我が家の愛犬、

ポーポーとチャールスのことを祈祷してくれた。

そのとき

夫の名前を「Deity―神仏」と聞き間違えたのだった。

 

リンポシェは、

夫の病気のことを分かったうえで言ったのだろうか?

それから彼にこう言ったのだった。

「大丈夫、あなたは神仏になるから」、と。

それは、つまり…

 

そう考えたら、目頭が熱くなった。

それからはもう夫の事ばかりが思い出されてしまって…

リンポシェの話に集中的できなくなってしまった。

 

なのに法話の後、

思ってもいなかった展開になったのだった。

リンポシェが今夜、

最高位の密教ヨーガのイニシエーションを授けるから、

既に同レベルのイニシエーションを受けたことのある人は

この場に残るようにと言われたのだ。

 

一瞬、聞き間違えかと思った。

このリトリートでは、ある最高位の

密教イニシエーションが予定されていたのだけれど、

それは既に先週、数日かけて行われていたから、

まさか今夜こんな機会に恵まれるとは

夢にも思っていなかった。

幸運に感謝しつつ、

もしかするとこれで、更に日々のお勤め行が

追加されることになるかもしれないな、と腹を括った。

それでもこの場に残って受けようと思った。

 

 

そうしてその夜、

ヘレさんのテントに戻ったときには真夜中近かった。

 

イニシエーションの後の夢見は重要である。

今夜はどんな夢を見るのだろうか?

半ばワクワク期待しつつ寝袋に潜った。

 

だけど、眠れなかった…。

寒くて、寒くて、寒くて、

凍えて、凍えて、凍えてしまって、

とてもじゃあないけれど寝るどころではなかった。

 

大地を吹き荒ぶピューピューと冷たい風が

足元から吹き込んでいた。

スチューパで仏友が言っていたことが思い出される。

「今夜はマイナス2℃になるそうだよ」

ひぇ~~~

 

さっき休憩のとき、ゴンパがあまりに寒かったので買った

チベットのヤクのショールを

寝袋の中に引っ張りこんでみたけれども、まだ寒かった。

靴下をWソックスならぬ

トリプルにして履き込んでみたけれども、まだまだ寒い。

 

全ての衣服を着こんで寝袋に潜ってみたけれども、

寒くて、寒くて堪らない。

電車で来たため荷物をできる限り少なくしようと努めたのが

災いして、

もう何も着る物もなかった。

 

上は6枚、下は3枚、あるだけ全て、コートまで着込んで、

ヤクの毛布に包まって寝袋に入っているのに

寒くて、寒くて・・・。

ヒューヒュー地面から吹き込む風は、

もはやビュービューになっていた。

 

余りの寒さに懐中電灯をつけて調べた。

私はビニルの仕切りを隔てて、寝室(?)部分ではなく

テントの入り口付近に寝ていたのだけれど、

ちょうどその辺りと反対側の下部がただの網になっている。

そこから冷た~い風が吹き抜けているのだと気がついた。

どうりで足の平に容赦なく風が吹き荒んでくるわけだ。

 

基本、キャンプは夏の風物詩。

サマーキャンプ用にデザインされたこのテントの入り口側は

夏の蒸し暑さを克服するために

風通し良く作られていたことに、

ようやっと気がついたのだった。

このころには外はしとしと、凍える雨まで降り出して、

もはや雨混じりの冷風が…(泣)

そろそろ外気はマイナスになっているに違いない。

 

ふっと思った。

たとえ幸運にも眠れたとしても、

このまま眠ってしまってよいものだろうか?

眠ってしまったがために体温調節ができなくなって、

まさか・・・凍死?

 

いやいやいや・・・

だけど、とにかく

寒くて、寒くて、寒くて、

もうどうしていいかわからない~

 

夢見のメッセージに対する期待感など

とっくにきれいさっぱり無くしていた。

とにもかくにも

寒さから解放されるよう、ひたすら神仏に助けを求めた。

真っ暗な中、

寝袋の中で身体を縮こませて、マントラを唱えていた。

 

ふっと毎晩、こんな寒さを体験しなければならない

人たちのことが頭を過った。

メルボルンのシティで見かける

ホームレスの人たちのことが思い出された。

考えれば考えるほど、心が……

 

そのとき誰かがぽんっと枕元に何かを置いた。

真っ暗闇の中

フォトフレームに入ったダライラマ法王の写真と、

カタと、数珠が見えた。

 

そのビジョンにハッとしたとき、

ようやっと気がついたのだった。

そうか、菩提心からこの寒さを体験すればいいのだ、と。

 

自分の中の「寒い」という感覚、気持ちにばかり

意識のベクトルが向いていることが、より問題なのだ。

たとえ寒いという感覚は変わらなくても、

ベクトルの指す方向性を変えれば良い。

寒い自分ではなく、菩提心から、他者へと。

 

今この瞬間、世界中で

寒さに震えている人たちのことを想像してみた。

その人たちの苦しみを思った。

そうして彼らが、寒さから、過酷な状況から解放されて

暖をとれることを祈った。

できるだけ強く、切実に

皆が温か~く眠れるように祈りながら

マントラを唱えていた。

そのうちうつらうつらしていた。

 

翌朝、ビニルの壁を隔てヘレさんの寝室で

モゾモゾうごめく物音で目が覚めた。

やっぱり、余りに寒いので、

毛布かショールか

何か羽織れるものはないかと聞いてみたけれど、

ほぼ6週間キャンプ生活を続けている彼女は

小ぶりのスカーフ1枚と

汚れた服数枚しか持っていなかった。

 

だけど朝食のときヘレさんは

毛布を貸してくれるという

リトリート仲間を連れてきてくれたのだった!

 

「嬉しい~~~~

今夜はこれで眠れるよぅ~~~~」と歓喜する私に

同じテーブルで朝食をとっていた仏友が笑った。

 

「まるでシャンティデーヴァの祈りだね。

喉の渇いた人には飲み物が、腹を空かせた人には食べ物が、

寒い人には毛布が与えられますようにって。

助けが与えられて、良かったね」、と。

 

それで思い出した。

リトリート前半の経典が

シャンティデーヴァの『入菩薩行論』だったことを。

思えば、私がタダでテントや毛布に与れるのも

みんなの菩提心のお陰なのだと、しみじみ。

ほんと~にどうもありがとう、なのでした。

 

 

May those feeble with cold find warmth,

And may those oppressed with heat be cooled

By the boundless waters that pour forth

From the great clouds of the Bodhisattva’s (merits).

―『A Guide to the Bodhisattva’s Way of Life』by Shantideva―

 

寒さに震える人には暖が、

猛暑に苦しむ人には

菩薩の雲から注がれる水の恵みから涼が

与えられますように

―『入菩薩行論』シャンティデーヴァ著から抜粋―

 



朝食の後、9時半からの行に向かった。

昨夜のイニシエーションが深夜に及んだので

6時からの祈祷や行は中止されていた。

 

リンポシェも参加されて、

本格的な祈祷と瞑想をすることができた。

私も法具を使ってベルを鳴らし、

リンポシェや僧侶たちと一緒に詠唱した。

それから、縁起についての法話を聞いた。

 

 

ランチの後は、アシジの聖フランチェスコ像が

アティーシャセンターに寄贈される

記念の式典が予定されていた。

私も昔、アシジの修道者、

聖フランチェスコに興味を持ったことはあったけど、

首を傾げてしまった。

 

なんでセント・フランチェスコ?

なぜにチベット仏教にカソリック教の彫像が??みたいな。

それでもヘレさんと一緒に覗いてみた。

 

小雨混じりの空がどんよりと垂れ込める中、

彫像を飾った庭で式典は開催された。

地元のテレビ局も入って、

カソリック教の神父さんや司祭の方お二人と

教会信者の方々、リンポシェや

チベット仏教の臙脂色の袈裟を纏った僧侶たちを囲んで

人だかりができていた。

 

まずカソリックの神父さんが

聖フランチェスコの生涯についてスピーチをされた。

続いてリンポシェが演台に立ち、

聖フランチェスコが

いかに素晴らしい「菩薩」であったかを話し始めた。

 

リンポシェは以前

アシジの修道院を訪ねたことがあるそうで、

そこで聞いた聖フランチェスコのエピソード、

彼の慈愛に満ちた行為や

起こした奇跡の数々を次々と披露してくれた。

簡潔にスピーチをされていた神父さんとは対照的に、

ああ、そういえばこんな逸話もあった、

ああ、それから、と

まるで知人の思い出話でもするかのように

次から次へと話が飛び出す。

 

で、「セント・フランチェスコ」を

「サンフランシスコ」と呼んでは、

お付きのお坊さんから

「リンポシェ、サンフランシスコは

アメリカ合衆国の都市です」とか訂正されていた。

そのたびリンポシェは「ヒーヒー」と

甲高い笑い声をあげたから、

つられて私も笑ってしまったけれど、

考えてみれば「サンフランシスコ」は

元々「聖フランチェスコ」から取ったのだろうから、

英語じゃなかったというだけなんだろう。

 

リンポシェはこれでもかと

聖フランチェスコの偉大な菩薩ぶりについて語った後に

言われたのだった。

 

一つのグループにたった一人でも菩薩がいれば、

全体が変わってくる。

家族の中に一人菩薩がいれば、

そこに光が差し込むのだ、と。

 

そのとき本当に、灰色の空が割れるようにして

さっと陽光が差し込んだ。

あまりのタイミングにみんな吹き出してしまった。

皆が笑ったので、リンポシェも「ヒーヒー」と

また例の甲高い声で笑いだした。

 

あのとき私はリンポシェの笑い声を聞きながら、

心の中で何度も何度もその言葉を繰り返していた。

 

一家に一人菩薩がいれば、家中が光で満たされる。

 

 

その夜は、

リンポシェの法話は既に昨夜で終わっていたので、

翌日のプージャのため

ゴンパ(本堂)の飾り付けを手伝った。

そのうちキャサリリンが到着したので食堂に移って

ヘレさんと3人でおしゃべり。

一息ついてからテントに向かった。

 

キャシーも電車で来たためにかなり軽装備だった。

その夜も気温は零下になると聞いていた。

私は昨夜のとてつもない寒さを思い

心配してしまったのだけれども、

どうやら彼女にそんな心配は無用なようだった。

 

「先々週もここに泊まったし、

ヒマラヤでキャンプしてたこともあるし大丈夫、大丈夫、

キャハハハッ」と豪快に笑っていた。

 

毛布を与えられたとはいえ、またあの寒さを体験したら・・・

と怯えている私とは対照的に、

キャシーにとってキャンプ生活はお手の物だった。

聞けば、ネパールやインドやチベットで

数か月の密教リトリートを

キャンプしながら何度もこなしてきた、という。

キャシーがそんな強者だとは知らなんだ。

寝袋を整えながらもガハガハと笑い、はしゃいでいた。

 

「これって、楽しい~~~

ガールズ・ナイトみたいだねぇ!

お喋りしよう! ガールズ・トークしよ~~~」

 

彼女の大らかなハイ・テンションぶりが心強かった。

今夜も寒くて眠れなかったら、キャシーを起こして

一晩中ガールズ・トークして過ごせばいいや、と。

 

ヘレさんは、昨夜イニシエーション後の夢見を楽しみに

スリーピングバッグに潜り込んだのに、

寒くて眠るどころではなかった私を不憫がって、

先週のイニシエーションで使ったという

藁を数束、貸してくれた。

これを入れて眠ると夢を忘れないから、と。

 

有難くお借りして、枕とスリーピングバッグの下に入れた。

ダライラマ法王のリトリートで頂いた藁のことを

思い出しながら、スリーピングバッグに潜り込んだ。

あのときもイニシエーション前夜とその後に

藁を寝具の下に入れて眠りについたのだった。

 

あのときみたいにスピ夢が見れるといいな。

つーか、

眠れると、いいな(凍えることなく)。

 

そうして、ヘレちゃんに借りた藁パワーか、

はたまたハウルさんから借りた毛布パワーか、

何時でも付き合ってくれそうなキャシーのタフ感か、

夢は見なかったけれど、

泥のように眠ることができた!のだった。

 

翌朝、

ヘレさんに「何か夢、見ることはできた?」と聞かれ、

「見なかったけど、眠れた」と答えたとき、

頭の中で声が聞こえた。

 

大変なときこそ菩薩になりなさい、と。

 

そうすれば、周りを助けることができるから。

何よりもまず自分自身のことを助けることができるから。

 

後半は言葉で聞こえたというよりも、概念で。

じぃんわりと、胸が温かくなっていた。

 

テントの外に出れば、

昨日のどんよりと垂れ込めていた灰色の空が嘘のように

青空が広がっていた。

ユーカリの木々に朝陽が降り注いでいた。

 

確かに、苦境にいるとき

菩薩になってしまえば、全てが行になる。

そうすれば、逆境に圧倒され、

情況の無力な被害者に陥ってしまうことも

なくなるんだろう。

怒りだって、

菩薩の心情<菩提心>に立ってしまったら

もう怒ってなんかいられなくなるだろうから

自然に浄化されてしまうのだろう。

 

そんなことを考えながら

ユーカリの葉に反射する朝陽の輝きに見惚れていた。

昨日リンポシェがそう言ったとたんに差し込んだ

陽光を思い出していた。

 

家族の中に一人でも菩薩がいれば―

 

心に焼き付けておこう、と思う。

 

 

キャアキャア、ワイワイ、

ヘレさんとキャシーと3人で朝食に向かった。

早朝の冷たい空気が心地よかった。

ガールズ・トークならぬ

ダーマ・トーク(仏法話)を楽しみながら朝食を取った。

途中リンさんとティナリンもプージャに参加するために

メルボルンからやって来て、5人で笑い転げていた。

 

ラマ・ゾパ・リンポシェのLong Life Pujaには

私の地元のチベット仏教センターのゲシェDや僧侶たち、

顔見知りの仏友たちも大勢来ていた。

3百人ほどが集まったそうだ。

ダキニの舞まである、

本格的なプージャは5時間にも及んだ。

 

儀式の後にリンポシェから祝福を受ける機会があったので、

ちゃっかりダディンから貰った

翡翠の数珠に祈念を頼んでしまった。

リンポシェは真言を唱え念を入れてくれた。

やはりリンポシェが祈念された赤い糸を、

僧侶に頼んでダディンの分も頂くことができた。

 

帰りは予定通り、

ティナリンに乗せてもらって家路に着いた。

昨日までのくすんだ冬空が嘘のように

美しい夕焼けがグレート・スチューパを彩っていた。

 

3日間だけ参加したリトリート。

それでもまたたくさん贈りものを頂いた。

そのエッセンスを心に染みわたらせて

日々の生活を送りたいものデス。

 




春ほころぶメルボルンから『インスタント・ニルヴァーナ』 

―2017年9月3日の日記から―

9月、メルボルンは春―


街路樹も、家々の前庭に覗く木々も、

そろそろ満開を迎える。

梅の木の小枝を彩る可憐な花も

モクレンの華やかな大輪の花も

息をのむほどに美しくて、

ハンドルを握りながらもついつい見惚れてしまうほど。

って、危ないか、それは…。

 

お陰様で家族も私も元気デス。

ダディンの方はホルモンセラピーも順調で、
経過も良好。

先週から化学療法に入った。

私も毎日、とまではいかなくても

キホン2日に1度くらいはレイキをしてあげている。

などというには、効果のほどは定かではないけれど、

ま、気は心ってことで。

 

前回書いたブログを読み直してみたら、

ショック感と悲壮感に溢れてる…。

今ではそれも落ち着いて、

毎朝シャンティデーヴァのアドバイスを胸に目覚めている。

 

その問題に解決策があるのなら、

解決すべく努力を重ねればいいし、

もしも何もできることがないのであれば、

心配しても仕方がない

 

みたいな…。

シャンティデーヴァ…でしたよね、確か?

ダライラマ法王も時々引用されてるし。

 

うじうじ俯いていても、にこにこ微笑んでいても、

冬枯れの通りは色めいてゆくし、

外はだんだんと温かくなってゆくし、

春の息吹を見逃したくはないし。

とりあえずは本人の希望通り、

殆ど以前と同じ“ふつー”の生活を送ってます。

 

夫に腹を立てる余裕もまたメキメキ盛り返してしまったし。

夫の方も以前同様、

小さなことでブーたれるようになったし。

くだらないことで対立しては、

みみっちい口論を展開している。

て、マズイよね、これは…。

 

そうだ、先日など

口論の現場を目撃した娘に諭されてしまったのだった。

ねえ、止めようよ、

2人とも、

器、小さいよ。

 

ご…指摘の通りです…。


このとき、心には

『ハリー・ポッター』のJKローリングさんが描写した

トランプ大統領評が去来していた。

前オバマ大統領や周囲の人たちを熱く攻撃する彼に一言、

ちっちゃな、ちっちゃな、ちっちゃな男。

 

ちっちゃな、ちっちゃな、ちっちゃな―

やっぱりキホン、嫌よね、それって。

イチオー親としての威厳あるし…。

 

昨今の私の座右の銘に照らしても、

「その問題に解決策があるのなら」って、

明らかに、あるだろ、この場合。

 

というわけで

極力、腹を立てず、
些細なことにはこだわらず、

雄大にやってゆこう、と改めて決意した次第デス。

まあ、気を遣い過ぎてもお互い疲れるし、

ストレスにしちゃったらそれも逆効果だし、

ほどほどに、ね。

 

そうすることが許される間は

Middle Way中道でやってゆこう、と思ってます。 

夫の治療や子どもたちのサポート、

仕事や執筆やボランティア、

仏教の勉強やタントラ行や―

どれもできるだけバランスをとりながら、ゆるゆると

 

思えば年明けの計画では

Tamago』から始まった『Someday Baby: IVF at 40』、

Tamago39歳の不妊治療』がやっと一段落着いたので、

6月に予定していた3週間の密教リトリートを終えたら

新しい作品に取り掛かろうと思っていたのだった。

リトリートで心と身体を清めてから、

新しい作品を考えよう、と。

 

けれど状況を考えて、結局

昔書いて未完のままになっていた小説を

編集発表することにした。

90年代後半に書いた処女長編

『インスタント・ニルヴァーナ』を。

 

破壊的カルト団体のマインドコントロールをテーマにした

サスペンス小説で、

執筆の切掛けは、夢見だった。

カルト教団の罠に嵌って、

逃げ出したいのに抜けられない、という悪夢で、

20年も前に見た夢なのに今でもありありと覚えている。

 

夢の中で私は

ど~してそんなことになってしまったものか?

コミューンカルトで暮らしていた。

24時間360度監視体制にあるような閉ざされた空間から

外の世界に戻りたいと切望しても、
時、既に遅し。

八方塞りだと悟ったときの恐怖と絶望。

 

遂に女教祖の怒りに触れ―

殺されそうになって目覚めたとき、

自分の首にかけられていた指の生温かさまで

はっきりと残っていたほど生々しい夢だった。

暫く頭から離れなくなってしまったほどに。

 

当時はオーストラリアの大学で

創作を英語で勉強していたのだけれど、

それから暇を見つけては日本から買ってきた

カルト宗教やマインドコントロールに関する本を読むようになった。

 

そうして99年に卒業した後は

3年間英語一色だったストレスを発散するかのように

日本語で作品の執筆に没頭し始めたのだった。

 

思い返せば、まだ東京に住んでいたころ、

プチカルト宗教をテーマに

SUIMIN薬』という短編小説を書いたことがあった。

もともと瞑想や神秘体験、霊的世界に興味があったうえに、

仕事でもニューエイジグループや宗教団体を

取材する機会もあったので、

心に感じていたことを表現したかったのだと思う。

 

そうして東京から海外へ生活の基盤を移し始めた

95年に地下鉄サリン事件という無差別テロが起きた。

日本を発つ前に実家でそのニュースを聞いたのだった。

 

どうしてこんなことに…!?

もしも自分も…?
瞑想やヨガや精神世界を追求しているうちに
1歩間違って迷い込んでしまったら…?

そう思ったら心底ゾッとした。

 

そのときの衝撃が『インスタント・ニルヴァーナ』の

種となったのかもしれない。

少なくとも、カルトのマインドコントロールに興味を持つ

切っ掛けとなったのは確かだ。

 

執筆を始めてから2年後の2000年末に

3部からなる長編小説が完成した。

どっぷり入れ込んでいたので、

キャラクターと別れるのが淋しくて

なかなか終わりにできないほどだった。(^ ^;)

そのまま出版したかったけど、

400字詰原稿用紙換算で1300枚という長さもあって、

未発表のままになっていた。

 

あれから15年以上の月日が流れ、電子書籍も普及した。

けれど社会から

破壊的カルト宗教やマインドコントロールの脅威が

消えたわけじゃない。


オーストラリアで生活をしていると、

むしろニュースで耳にする機会も増えたような気がするし。

一方、とにかく宗教はアブナイ、

精神世界に関するグループは怪しげだという風潮も

根強いような気がするし。

 

今更ながら、

宗教団体やスピリチュアルなグループと、
破壊的カルト集団は、

明確に分けられなくてはならない、と思う。

 

ますます心のケアは重要になっている。
心の問題や、精神世界や精神修養に興味をもたれた方々が、
健全な環境で、

その学びや実践を育むことができますように。
その努力が破壊的カルト集団の野心に踏みにじられたり、
悪用されてしまうことがありませんように。
そうして私たちの精神生活が

ますます豊かなものになりますように。

の作品が破壊的カルト集団や

彼らの操るマインドコントロールへの

関心の一助になることを祈って。

3部構成の長編小説なので、

3部作で出版することにしました。

 

先日、編集の終わった第1部を出版。

今後、第2部、第3部と出版してゆく予定です。

 

 

『インスタント・ニルヴァーナ1』

    マックあつこ著


もしもあなたの大切な人が

  カルトの罠に嵌ってしまったら?

 

退行催眠療法で前世を思い出したら

恐怖症が治ってしまった! 
編集部に届いた読者からの声に、
春日南は前世セミナーの体験ルポを始めた。
けれど南が思い出した記憶の欠片は前世ではなく、
トラウマへと続いていた。
やがて―


アラサー女性編集者、春日南
<コンタクト・セラピー・クリニック>催眠療法士、桜久美子
超能力を操るハンサムな<ニルヴァーナ>教祖、大河ヒカル
マインドコントロールに憑かれた元広告マン、森脇徹
<POL>に妻子を奪われた救出カウンセラー、久藤聡
美貌の女子高校生ハッカー、葵早紀


救出カウンセラー
VSカルト教団、
世紀末の東京でマインドコントロールが蠢く。


サスペンス長編3部作第1部。

『インスタント・ニルヴァーナ1』

アマゾンKindle電子書籍 199で発売中デス。

 

ご愛読のほどを、どうぞよろしくお願いいたします。
 



タマ旅―『Tamago―39歳の不妊治療』まで 

―2016年12月7日の日記から―

『Tamago―39歳の不妊治療』

アマゾンから電子出版しました!

無料サンプルをダウンロードして覗いてみてください。

ちなみにKindle Unlimited会員の方は読み放題デス。

 

これでこの小説は予期せずも

2009年に出版した『Tamago』

去年の英語版『Someday Baby: IVF at 40』

そして今回のリニューアル版

『Tamago―39歳の不妊治療』

3つのタイトルをもつ本になってしまった!わけで。。。

 

振り返れば、

私がこの小説を書こうと思ったのは、

娘がまだよちよち歩きのころだった。

あのときはまさかこの作品と

これほど長~いお付き合いになろうとは

思いもよらなかった。

 

今回はこの

『Tamago』の旅(タマ旅?)に触れてみようと思う。

 

私は娘の出産前にも長編小説を1作書いていた。

『インスタント・ニルヴァーナ』という

新興カルト宗教のマインドコントロールを扱った

サスペンス小説だった。

400字詰めで1200枚を超えていたので、

一つ賞に応募してからは、

なかなか他に送れる賞も見つからず、未刊のまま。

その敗因を胸に、次はもっと自分の生活に合ったテーマで、

長さもその半分で書こう、と決めていた。

 

ちょうど二人目を妊娠しようと

不妊治療を再開したところだったので、

それをテーマに書いてみてはどうだろう、と思った。

娘は不妊治療で授かったのだけど、

そのとき不思議な体験をしていたので、

何か素通りできないものを感じてもいたから。

 

作品のバックグラウンドになる治療に関する情報は

完璧なものが取れるだろうし、

リアルな作品が書けるかもしれない、と

『たまご時計』をタイトルに書き始めたのだった。

 

とはいえ育児の真っ最中で、

2歳になったばかりの娘はちょうど手がかかりまくるころ。

不妊治療もあるし、家事も家業もあるしで、

なかなか執筆の時間が取れない。

早朝や夜中に起き出してみたり、

思い切ってナニーさんを頼んでみたりと、

いろいろ試してはみたものの、筆は進まず…。

 

そんなとき、

失敗続きだった体外受精がやっと実を結び、

妊娠!

喜んだのも束の間、結局

子宮外妊娠であることが判ったのだった。

 

せっかく授かった子を今度は摘出しなければならない…。

病院のベッドで一人泣きながら手術を待っていた。

 

けれど泣いていても心は酷くなるばかりなので、

瞑想することにした。慈悲の女神、

チベット密教のターラ尊を観想し瞑想し続けていた。

 

途中、手術医が現れ、

説明を終えた彼が病室から出てゆくのを見送ったとき

思った。

この体験を書き留めておかなくては、と。

 

病院の売店に走って、ペンとメモ帳を買ってきた。

それから自分の身に起こっていることを

書き留めていったのだった。

 

翌日、空っぽの子宮で退院してからはまた、

何事もなかったかのように、

娘と夫と愛犬3匹との生活に追われる日常に戻った。

けれどもう再び、あのメモ帳を開くことはなかった。

小説の執筆を再開することもなかったのだった。

 

メモ帳を開いたのは、

それから2、3か月経ったころだったと思う。

 

夫がエンジェルカードを贈ってくれた。

彼はその手のものを好むようなタイプではなかったから、

私のことを心配してくれたのだろう。

 

封を破って箱を開け、1枚を引いてみた。

赤ちゃんを抱いた天使のイラストが描かれたカードだった。

メッセージが添えられていた。

 

「Your children on Earth and in Heaven are happy

and well cared for by God and the angels.

この世とあの世と、あなたの子どもたちは幸せで、

神と天使に慈しまれていますよ」、と。

 

一瞬にして閉じていた心と身体が震えてしまった。

私は声を上げて泣き出していた。

手術以来、泣いたのは初めてだった。

泣いて泣いて、大泣きして、思った。

 

あの小説を書きあげなければ、と。

書かなくては、

あの体験を無駄にしてしまうような気がした。

無駄にしてしまったら、

生まれてこれなかった子に申し訳ない、と。

 

それからは失くしてしまった子どものことを考える代わりに

小説の執筆に打ち込んだ。

早朝4時起きを日課にして、毎朝書きつづけた。

そうしてそれは娘が5歳、

息子が1歳を過ぎたころに完成し、

完成した作品は、

当初のプロットから全く違ったものになっていたのだった。

 

 

小説は完成したとはいっても本になる目処はなかった。

依頼原稿でもなく勝手に書いた作品なので、

これから出版社を探さなくてはならない。

 

まずは手っ取り早く賞に送ってみようと思ったものの、

原稿の枚数とジャンルとタイミング的に

適当な賞が見つからなかった。

結局、締め切りもジャンルも枚数制限もなく、

常時募集中の、受賞すれば単行本化されるという

某大手出版社の文庫大賞に送ってみた。

 

ところがなぜかその後、

その出版社の応募した覚えもない賞から

選考の詳細に関するお知らせが届いた。

編集者が勝手にそっちの賞に回したのか、単なる手違いか?

いずれにしてもこれも何かのご縁、

案外うまくいってしまうかもと、

ぼんやりと半年ほど待ってみた。

というのも、当時は(今もかな?)1度応募したら

他賞に応募することは禁止されていたので。

 

が、敢え無く落選。

そこで今度はどこか

「持ち込み原稿可」の出版社はないものかと

ネットで探してみた。

中堅の出版社を見つけ、原稿を送ったところ、

編集さんから連絡を頂きお会いすることに。

どこかの賞に送れば最終選考には残るだろうと

好意的だったものの、

結局そこから出してもらうことは叶わなかった。

 

それでもお陰で、満更でもないのかも…

と考えることができるようになったのだった。

その後もう一社、

持ち込み原稿に門戸を開いている出版社を見つけて、

送ってみた。

 

 

それから3~4か月後―

ひょんなことからオージーの友達に誘われ、

霊視Psychic Readingをしてもらうことに。

驚いたことに、

その霊能者はすぐ私の執筆について話し始めたのだった。

 

聞いてもいないのに、今取り組んでいる小説に触れ、

赤ちゃんが見えると作品のテーマについて言い当てて、

その原稿には多くの可能性があるから、

自分で過小評価して諦めてしまうべきじゃない。

原稿を受け入れる出版社が一社あって、

書き手としてのあなたのパートナーさえ見つかれば

成功するから、と。

 

書き手である自分のパートナー? 

ちょっと意味不明?、でもWow!

半信半疑ながら喜んでしまった。

きっと原稿を送ったあの出版社から

OKの連絡が入るのだろう、と単純に思っていた。

 

ところが、

その2日後、なんと原稿が送り返されてきたのだった!

文体が嫌で読み進む気になれないからお返しします、と。

 

ガーン…

それにしても、なんてタイミングなんだ…

 

手紙に記された男性編集者の名前を前に、

そりゃそうだよね、不妊症に悩む女性の話なんて

きっと男の人には興味ないよね。

文体だって、タイプのわけがないよね。。。

などとは全然っ思えなかった。

作品どころか、書き手としての自分を全否定されたような

気さえしてしまって…。

 

そうして、あっさり、

原稿放置。

次作に取り組むことにしたのだった。

他に送れそうな出版社も見当たらなかったし、

2008年当時、

日本ではまだ電子出版もそう普及していなかったし。

 


それから間もなくして

当時会員になっていた全作家協会の先輩作家さんから

某大手自費出版社から出版してはどうかとメールを頂いた。

 

自費出版は、全く考えていなかった。

出版しても本屋や流通には回らない、

という話は聞いていたし、

興味もない友人知人に送ったところで

ハタ迷惑なだけだろうし。

基本的に、ダメだったら、前回同様またそのままにして

次の作品にとりかかろう、と思っていたから。

 

けれどそこは某大手出版社の子会社なので

流通にも長けていて、

親会社から再出版と販売をしてもらえる

可能性さえあるという。

ここでふっとあの霊能者さんの言葉が脳裏を過り…

 

どうしよう?

思い切って、本にしてみようか?

今まで数人が読んでくれたけど、殆ど男性ばかりだった。

だけどあの小説は女性に向けて書いたのだ。

妊娠や不妊症がどこかで気になる女性たちに。

今まで自費出版なんて考えてもいなかったけど、

流通してもらえるなら、

それで本が読者に届くかもしれないのなら、

試してみる価値はあるんじゃなかろうか?

 

だけど「試してみる」にはコスト、あまりに高っ!

これでは日本でKの新車が余裕で買えてしまう

ではないかっ!

でも

このままあっさり諦めてしまっていいものだろうか?

あの霊能者だって…

でもコストが…

 

ちょうどママ友たちと

Mind Body Spirit Festivalというイベントに

行く機会があったので、

そこでまた霊視をしてもらうことにした。

と、言葉は違えど内容は同じ。

むむむ…

 

結局、腹をくくって、

清水の舞台から飛び降りる気で

やってみることにしたのだった。

 

 

そうして―

敢え無く墜落。

全身打撲。

 

正直この時期、かなり混乱してしまった。

霊視だけでなく、自分でも夢やビジョンを見たり、

シンクロニシティを経験したりしていたので、

自分の直感自体がまったく信じられなくなって。

 

お金のこともさることながら、育児のことを一番後悔した。

やっと授かった子どもたちなのに。

毎朝4時に、時には夜中から起き出して、

「ママ、ママ」と

ベッドから自分を呼ぶ子どもたちに我慢を強いて、

書き続けた結果がこれなのか?

 

そう思ったら、もう書けなくなった。

執筆なんかで時間を無駄にするくらいなら、

できるだけ子どもたちと一緒にいてあげよう、と。

 

 

そんな折、ママ友のご縁で地元の図書館から

本のBook Launch出版記念会をしてはどうか

というお話を頂いた。

半年は過ぎていたから今更、出版記念でもないのだけれど、

ありがたいので、文芸モーニングティーを開くことにした。

 

土曜の午前中、図書館にママ友たちが集まってくれた。

子どもたちを預け、

中にはケーキまで焼いてきてくれた方まで!

ありがたかった。

 

だけど、そこに集まってくれた方々は

本の読者からは遠い人たちだった。

あの本は不妊症に苦しみながら

赤ちゃんを望んでやまない女性の話なのに、

彼女たちは子育て真っ最中の母親たちなのだ。

自分の時間は1分だって惜しいだろうに。わざわざ…。

 

さすがに思わずにはいられなかった。

自分はいったい何をやっているのだろうか、と

 

そのうえ、大恥を承知で告白してしまうと、

ダメ押しの惨事も…。

 

本の出版記念会の話が来たとき、それにしても

霊視とずいぶん結果が違うじゃないか、とふっと思った。

もしかして、聞き間違え? 英語だし?

思わず録音してもらったCDを聞き直せば、

Self-doubt自己疑惑が大きな障害となっているから

「自分は必ず成功する」と書いた紙を

書斎に貼っておくようにと言われている。

 

もしかして、

これを実行しなかったことが敗因の原因とか?

あのときは、なんだか情けない提案なので

スルーしてしまったけれど、

もしやこれを実行しなかったことが敗因の原因??

いや、まさか、そんな。でも…

いずれにしても、失うものなど何もないのだから、

ダメ元でやってみても…。

 

それでもさすがにでかでかと書いて

壁に貼っておくのは恥ずかし過ぎて憚られたので、

小さな紙に「マックあつこは成功する」と書いて、

栞がわりに『Tamago』の本に挟んだ。

そうして当日、もはやそんなことはすっかり忘れて、

「成功」栞を挟んだまま

サンプル本として会場に展示してしまったのだった!

 

うっきゃぁぁぁぁぁ~~~~

恥ずかしいよ~~~~~~~~

バカ過ぎるだろ、自分!

 

あまりに情けない、

自らの記憶から抹殺してしまう以外に

(できれば他者の記憶の方をデリートしたかったけど)

対処しようもあり得ない、

とほほほ…事態なので、即忘れることにした。

そうしてこのとき決意したのだった。

絶対にもう終わりにするゾ、と。

 

 

けれどその数か月後、全作家協会から連絡を頂いた。

前年度の会員の出版物に贈る全作家出版賞を

今年は『Tamago』に贈ってくれる、と。

そう言ってもらえると、ありがたくも嬉しくて、

絶対終了宣言もどこへやら、

授賞式に出られるかとか聞かれ、

ちょうど祖母の1周忌と重なっていたので

日本に一時帰国することにしたのだった。

 

祖母が亡くなったのはその1年前、

『Tamago』を出版してから4か月後のことだった。

 

その日の午後、なぜか私は突然瞑想したくなり、

瞑想を始めて間もなく

祖母が亡くなったことを悟ったのだった。

祖母が既に亡くなっていた両親や姉妹たちに囲まれて

現れたから。

母からも知らせを受け、

急遽、日本へ帰ることにしたのだけれど、

あのときは不思議なことがいろいろとあったのだった。

 

あれから1年が経ち、祖母の1周忌の墓前で、

私は『Tamago』が全作家出版賞を頂いたことを報告し、

去年のお葬式のことを思い出していた。

祖母との最後のお別れで、妹が棺に

祖母へのメッセージを書いた私たちの漫画単行本を入れた。

続いて私も『Tamago』を入れたところ、

司会の方から

「こちらは未だ入れない方が宜しいかと思われます」と

取り出されてしまったのだった。

 

まさか涙ながらに入れた品を突き返されてしまうとは

思ってもいなかったので憮然としてしまったのだけれど、

その瞬間、

祖母の存在をはっきりと傍に感じたのだった。

この本をあの世に送ってしまうのは未だ早いよ、と

祖母に言われたような気がした。

 

祖母の一周忌を終え、メルボルンへの帰りの飛行機の中で

私は自問していた。

これで終わりにしてしまって、

ほんとうにいいのだろうか、と。

 

その数か月前、

シドニーで開催されたダライラマ法王の講義ツアーに

参加した夜に見た、鮮やかな夢が思い出された。

若い女性が『Tamago』を胸に抱え

通りを歩いてゆくのに気がついて、

ハッとしているという夢だった。

 

自分の願いが現れただけの夢だったのかもしれないけれど、

それでも改めて認識せずにはおれなかった。

あの本は未だ、自分が送りたいと願っている人たちには

少しも届いていないのだ、と。

 

 

『Tamago』の英語版を考え始めたのは

このころからだった。

 

とりあえず、初めの3章を訳して、

文学エージェントに送ってみることにした。

インターネットでアメリカの文学エージェントを調べて、

自分の作品に合いそうな会社を選び、

規定に沿ってシノプシス(作品の概要)やサンプル章、

著者歴なんかを添えて、数社に送ってみた。

これでダメならそれで良しとしよう、と心に決めていた。

 

すると、作品を読んでみたいから全原稿を送ってほしいと

ニューヨークの文学エージェントから1社、

連絡が届いたのだった!

 

けれど送れる英語の原稿は未だ揃っていない。

仕方ないので正直に、実は日本語で完成してはいるものの、

まだ英訳が全部終わっていないのだと伝えたところ、

終わるまで待つから送ってほしい、とのことで!

 

嬉しかった。

けれどやはり先は、長い。

全訳は、キツイ。

医学の専門用語も多かったし…

数章訳して、既に疲労困憊。

 

 

そんなおりダライラマ法王から『菩薩戒』を授かる

という機会に恵まれた。

思いもよらぬ幸運に心を改めつつ、

『Tamago』のことが思われた。

 

あの作品を

菩提心を胸に、もう1度始めてみてはどうだろう?

 

今までもそうしてきたつもりだったけど、

こと不慣れな営業ビジネス分野、

出版・販促過程に入ってからは、程遠く―

思えば、

編集者から原稿を送り返されたときに

傷ついてしまったのは、自分のエゴの心だった。

あの「とほほほ…栞」を

『Tamago』に挟んでしまったのも、小我の心で…。

 

もう一度、大我からあの作品に取り組んでみようか。

訳だけでなく、出版や販促までも。

 

そもそも英訳だって、もっと読み手の立場に立てば、

贅肉を削ぎ取って、臭みを抜けるハズだし。

自分の原稿なのだから、原文に忠実である必要もないし

書き換えてしまえばいいのだ。

訳すというよりも、

むしろ英語で書き直すような気持ちで、やればいい。

 

そうだ、『Tamago』のときには触れなかったけど、

今度は「後書き」に記そう。

この小説を書く原動力となった

3つの神秘体験についても触れよう。

あれを書かなければ、作品も理解されないだろうから。

 

今度こそ、読み手の心に届くことを願って。

 

 

そうして出来上がったのが、

去年出版した『Someday Baby: IVF at 40』だった。

 

英語だから『Tamago』より

表現力もつたなくなってしまっただろうし、

読んでくれた方の心に届いたのかもわからない。

それでも、自分が本当に伝えたかったことは、

むしろ表現できたような気がしたのだった。

 

そう思ったら今度はそれを反映させた

リニューアル版『Tamago』を本にしたくなってしまった。

 

だけどまた大枚をはたいて

自費出版をするような経済的ゆとりもないし。

でも、電子出版なら?

アマゾンのKindleとか??

いやいや、ムリ、無理。

e-bookを自分で出すなんて、

私のPCスキルではとても無理だ。

 

だけど―

日本語だし。

表紙もあるし。

もしかして、やれるんじゃ…?

 

出版元に問い合わせ、

電子出版できるよう解約をお願いした。

単行本の表紙を電子書籍に使ってよいかと尋ねたところ

社のロゴを消せば問題ないという。

 

やってみよう、と思った。

年が明けたら、原稿に手を入れて編集し直して

電子書籍化しよう、と。

 

とはいえ、

この1年が病と浄化の年になってしまったせいで、

予定よりかなり遅れてしまったけど…。

それでもなんとか

キンドルから電子書籍を出版することが叶ったのだった。

 

 

こうして長かったタマ旅も終わりに近づき、

自分的にはやれることはやったという気がして

ホッとしている。

あのときの子は育てられなかったけれど、

なにかこの本を育てたことで自分も成長できた、

癒されたような気もして…。

 

 

2016年もそろそろ終わりますね。

皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

 



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