『ユーカリの木陰で里の行』


ブログ『ユーカリの木陰で里の行』

本や執筆、チベット密教やスピリチュアルな話、家族や愛犬、メルボルンの暮らしなんかをゆぅらりと綴っています

 

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忙し過ぎて心がキリキリしてきたら、ターシャと過ごそう

―2019年5月24日と25日の日記から―


「忙しすぎて心が迷子になっていない?

 

豊かな人生を送りたいと思ったら、心が求めているものを心に聞くしかないわ。

 

私は時々腰をおろして、ゆっくり味わうの。

花や夕焼けや雲、自然のアリアを。

 

人生は短いのよ。

楽しまなくちゃ」

 

91歳のターシャが、自ら作り上げた広大な庭の野原に腰を下ろして、風にそよぐ花々を眺めながら、かすれた声でゆったりと語りかけるとき、その言葉は心に響く。

 

『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』は、自分のスタイルをとことん追求し慈しんで生きた女性のドキュメンタリー映画だった。

 

 

先日ゆったりと一人の時間が取れたので、久しぶりにネット配信で映画レンタルでもしようと思い立った。

映画を見るなんて、年末日本に里帰りしたときにDVDを借りて以来だ。💛

わくわくと以前チェックした邦画を見ようとネットで「お気に入り」のファイルを開けたら、その下に並んだ<この作品をご覧になったお客さまは次の作品もご覧になっています>の一つに心が引き寄せられた。

予告編を見てみれば―

 

アメリカで最も愛される絵本作家

世界中のガーディナーが憧れる美しい庭をつくり上げたひと

・自然と寄り添うこと

・自分の手でつくること

・季節の行事を楽しむこと

自然と寄り添って暮らし、自分の手で喜びを紡ぎ出す

それがターシャの生き方

人生を見つめ直すときは、ちょっと立ち止まって、ターシャに聞いてみよう。

忙しすぎて、心が迷子になっていない?

 

忙しすぎて心が迷子・・・

なって・・・いるかもしれない・・・

つーか、NOなんて言えない自分がいた。

 

 

ターシャ・テューダーはアメリカの絵本作家である。

代表作の『コーギービル』など80冊以上もの本を出版し、日本でも翻訳された作品が多数ある。

見ているだけで心がスキップしたくなるような、温かくて美しい絵を描く方だ。

 

ターシャは自分の夢だったライフスタイルであるスローライフを実現した。

彼女の家「コーギ・コテージ」は、自分でデザインして息子に建ててもらった1800年代風の農家である。

彼女は50代半ばから自分の夢の家で田舎暮らしを始めた。

 

「ガーデニングは喜びなの。

人生は短いから好きなことをする。

私の場合それがガーデニングなの」

 

ターシャは広大な敷地で四季折々の花々を育てながら、コーギ犬や鳩、アヒルや鶏や、家畜と暮らした。

実際それは田舎暮らしというより、1800年代の農村の暮らしのようだった。

 

映画を観ながら『大草原の小さな家』を思い出していた。

私が小学校高学年とか中学生のころNHKで放映されていたアメリカのテレビドラマで、本も翻訳されていた。

西部開拓時代に生きた一家の話で、当時の私は自分と同年代のローラと彼女の世界に魅了され、毎週楽しみに観ていたものだった。

 

自然の脅威にさらされながらも大地に生きるローラの素朴で温かい世界に惹かれた。

そのころはミートパイもシェパードパイも食べたことなんてなかったから、主題歌にも歌われていた「母さんの焼くパイの香り」に憧れたものだ。

オーストラリアに暮らす今となってはミートパイなんて食べたくもないけれど・・・。(^^;)

 

ターシャのコーギ・コテージは、ローラの家よりはずっと大きくて洗練されているけれども、電気や水道は最小限に、暖炉や薪ストーブを使っている。

ターシャは蝋燭も手作りしていた。

身に着けるボンネットも小花模様のドレスも、人形もクリスマスの飾りも、なんでもハンドメイドで作ってしまうんだ。

自分で(もしくは近所に住む息子たちに手伝ってもらって)山羊の乳を搾り、庭で取れた果実でジャムを作って、スープを料理して、パイを焼いて―

 

木の温もりが魅力的なその家で、ターシャは時代がタイムスリップしてしまったかのような、シンプルで素朴な生活を送っている。

 

「私の赤ちゃんに会いたい?」

と、たとえば彼女がカーディガンの胸元を開けたときにはビックリした。

だってその胸元にはなんと、ひな鳥が!?

ヒナから育てあげた鳥たちと彼女の絆は深く、一緒にお昼寝もしてしまうんだとか。

 

「コーギ・コテージ」では、時間はひたすらゆったりと流れる。

普段慌しい日常に追われるように暮らしている現代人とは対照的に。

ターシャの紡ぎ出す緩やかで穏やかな世界に浸っていると、なんだか目頭が熱くなってしまう。

 

感謝祭のディナーで七面鳥を焼くシーンも印象的だった。

「もうちょっと早く焼くやり方はないの?」

と尋ねる孫の奥さんにターシャは諭すんだ。

 

「急いではだめよ。

200年前に戻ったつもりで、1日がかりの覚悟で作るの。

この家では時間の進み方が違うの。

煮るのでも焼くのでもなく、ローストするからおいしいの。

買ってきたものを温めるだけで済ませるなんて、私は嫌だわ」

 

彼女はプロセスを楽しむ達人なんだ。

全ての瞬間に念を、思いを込めることのできる人なのだと思う。

 

それにしても、1日がかりの覚悟か…。

う~ん、何をするのでもやはり覚悟は必要デス。

とことん愉しむために腹をくくる。

すごいな、ターシャ。

 

「91歳なんて、すごいでしょ。

こんなに長生きして、しかもずっと幸せだったのよ!

人生は短いから不幸でいる暇なんてない。

気づいていない人が多いけど」

 

言い切れるなんて、素晴らしい!

なんて恵まれた方なの!?

とか思ってしまいそうだけど、ターシャの人生は、実はそれほど平坦でも恵まれていたわけでもなかった。

 

ターシャはボストンの名家に生まれた。

両親は典型的なボストンの文化人で、家に作家のソローやエマーソンが遊びに来ていたというのだから驚く。

母親は肖像画家で、技師で実業家の父親はアインシュタインとも交流があったそうだ。

両親は多忙で、7歳上の兄は遊び相手にならず、孤独なターシャは乳母に育てられた。

乳母から家事と「地に足のついた生き方」を学ぶことができたのだと言っている。

 

9歳のときに両親が離婚して、ターシャは母親の親友の農家に預けられた。

え~、可哀想に・・・

と思ってしまうところだけれども、彼女自身は温かい家族に囲まれ、そこでの田舎生活の方をむしろ好んだ。

4歳年上のローズはシェイクスピア全集を読んでくれたのだと嬉しそうに語っていた。

 

「あの頃、夢中になって読んだ本から私は生き方を教わったの。

今日まで素晴らしい人生を送れたのは、ローズと本のおかげね」

 

ターシャは10代半ばで、まず大きな夢を一つ叶えてしまう。

母親の尽力で華々しく社交界デビューを飾ったのだ。

って、そうではなくて、ずっと欲しかった牛を叔父から贈られた!のだった。

ティーンネイジャーの女の子の夢が牛っ!?

こうしてユニークな夢が叶った彼女は独立して農業を始めた。

 

その後、21歳で結婚。

その年に絵本作家デビューも果たし、それから70年もの間現役で活躍し続けた。

その間に2度の離婚を経験して、4人の子どもたちを女手ひとつで育て上げて、第2の人生をコーギ・コテージで始めたのだった。

 


ターシャの人生は、概要を聞いただけでも山あり谷あり―

お伽噺のプリンセスのような恵まれた人生ではなさそうだったけど、彼女は「ずっと幸せだった」と言い切っている。

「思い通りに生きてきた」から、と。

 

「私はいつも自分が欲しいものを手に入れてきた。

それは忍耐強かったからよ。

決して諦めないことが大切なの。

私の人生は忍耐の連続だった。

でも忍耐の後に得るものは絶対にその価値があるのよ」

 

確かに、そうかもしれない。

忍耐の後に得る喜びは大きい。

私たち夫婦はなかなか子どもに恵まれず不妊治療をしてやっと授かったのだけれども、念願の子どもたちから得られた喜びは測り知れない。

そのうえ不思議な体験にまで恵まれて、そこから小説まで書くことになったのだ。

 

 

ターシャは4人の子どもたちを授かった。

農業をしながら4人の子育てをしていた当時の母親のことを長男が回想している。

4人の子どもたちのみならず家畜やペットの世話をしながら料理や裁縫をこなし、読書や庭仕事を楽しみ、同時に絵も描いていたんだそうだ。

私など想像しただけで疲れ果ててしまいそうな生活だけど、

「でもいつも(母は)楽しい楽しいって、やってたよ」と、長男。

 

「子どもたちと私は<探検>と称して毎朝寝巻のまま外に出て、<昨日と違う何か>を探して回ったの。

楽しかったわ」

 

その笑顔に刻まれた皺を見ながらしみじみ思わされた。

彼女は幸せでいるためにクリエイティヴな努力を惜しまなかったのだ、と。

 

目まぐるしい都会の生活とは違って、農場の暮らしはのんびりと、変化に乏しい単調な毎日になりそうな気もするけれど、ターシャと子どもたちは毎朝起き抜けに<昨日と違う何か>を探す探検に出ていた。

日常生活のなかに小さな喜びを見つけて、楽しむ。

当時のターシャ・ママは忙しかっただろうに、子どもたちと素敵な時間を持つことのできる余裕を持ち合わせていたのだろう。

 

この余裕こそ幸福の鍵なんだと思う。

心に余裕がなければ、何をしても本当には楽しめない。

どんなに好きなことややりたかったことをしていても、慌し過ぎると心は悲鳴を上げてしまうんだ。

 

この年末、日本に一時帰国したときのことが思い出された。

後何年こうして両親の暮らす実家に帰ることができるのだろうかと思えば、目に見えて年を取ってゆく両親とできるだけ一緒に時間を過ごしたいと思っていた。

身体の自由が利かなくなってきた母に代わって、日本に滞在しているときだけでも家事全般も引き受けよう、と。

 

とはいえ1年ぶりの帰国なので、自分自身が浮足立っている。

やりたいこと、行きたい所、会いたい人、食べたいものと〈やりたいことリスト〉も長々と。

子どもたちの方も成長するにつれ日本滞在でやりたいことが沢山出てきたから、毎日はあっという間に予定で埋まってしまう。

 

気がつけば、時間に追われて急かされて―

いつの間にか<やりたかったこと>も<しなければならないこと>リストの項目のようになってきて―

 

今日もこんな時間・・・急いで夕食を・・・と子どもたちを急かし家に戻ったとき、母に頼まれた買物をそっくりお店に置き忘れてきたことに気がついた。

自分の間抜けさを呪いつつ、さっき運転してきた道を戻りながら、自分でも驚いたことに目頭が熱くなっていた。

そんな自分の反応に呆れ、思った。

何やってるんだろ、自分…

 

仕事や家事や子供の面倒に追われる日常生活ならいざ知らず、これは年に一度の一時帰国で、子どもたちなど夏休みホリデー中だと言うのに、この慌ただしさは何なんだ!?

いったい毎日、何を焦って飛び回っているんだろうか。

頭ばかりがせかせかと次の行動を考えてしまって、心はちゃんと楽しんでいないじゃないか。

喜びどころか、むしろストレス…。

 

何を贅沢なことを…と思ったとき、贅沢という言葉にハタと思い当たった。

これなら、和食もお風呂もない、テントに居候させてもらって、寝袋の中で寒さに震えながら眠り、シンプルな食事をしていたリトリートの方が(2018年5月12日の日記「キャンプdeリトリートと夢見」に)、まだしも心は弾んでいた。

ニュンネだって(2017年5月29日の日記「Nyung Nye浄化のリトリート」に)、ただ断食断飲、無言の行をしながら慈悲の心について瞑想しているだけだというのに、むしろ満たされ、落ち着いていた。

心の平穏という点でいうなら、メルボルンでの平凡な日常の方がまだしも・・・。

 

これってば、やっぱり…

日本に来てから慌しくて、ろくに瞑想もしていなかったことが悔やまれた。

毎日の密教行だって、手抜きのせかせかしたもので…。

里帰りなのだからと気を抜き過ぎ手を抜き過ぎて、心の鍛錬がおざなりになっていた。

仏教でいうMonkey Mind、ただ反応し続けるだけのとりとめのない心で、Mindfulnessからは程遠く…。

そのうえ、やりたいことややるべきだと決めたこと、要は執着や期待が大き過ぎて、「足るを知る」の心には程遠く、「感謝」の余裕もなく―

 

「すべての瞬間を楽しみなさい。

五感のすべてで命を感じなさい」

 

まさにマインドフルだ。

ターシャは毎瞬毎瞬に心を込めて生きようとしてきた。

状況に反応して流される<お猿さんの心>ではなく、<意識的に>生きようとしてきた。

彼女から<選ぶことの大切さ>について学んだと孫の奥さんが言っている。

 

「家の仕事にしても趣味にしても、何をして何をしないか、誰と会って誰と会わないか、人生は小さな選択の積み重ねでできていると言うのです。

(ターシャは)すべての選択を真剣に行ったから自分の世界を築けたのですよね」

 

人生は小さな選択の積み重ね―

本当にその通りだと思う。

ターシャは自分にとって重要なことを知っていた。

人生のプライオリティを明確に意識して生きてきたのだ。

 

 

そんなターシャは心の真ん中に「Still Water教」と自分で名付けた信念をもっていた。

 

「私は静かな水のようにありたいと<Still Water教>を発明したの。

人間はないものねだりばかり。

欲望で不満を膨らませているの。

まずは静かな水のように世界を受け止め、感謝することから始めたいわ」

 

その信念について息子も語っている。

「静かな水のように穏やかであること、

水鏡に映し、自分を知ること、

周りに流されず自分の速さで進むこと。

それを母はスティル・ウォーター教と言って冗談めかしていましたが、そのように生きていました。

いつも手を動かすことを楽しみ、自ら作り出したものに幸せを与えられ、そうして積み重ねた人生は充実したものでした」

 

 

「人生なんてあっという間に終わってしまうわ。

好きに生きるべきよ。

幸せは自分で創り出すのよ」

 

そう語っていたターシャはもういない。

2008年に92歳で永眠した。

 

幸福は自ら作り出す。

だから、心を迷子にしないようにする。

 

ほんとうに、その通りだと思う。

今度、心がわさわさしているなと気がついたら、立ち止まって深呼吸してみよう。

それから自分の心に聞いてみるんだ。

耳を傾けてみれば、ちょっとコーヒーで一息つきたいとか、温かいお湯につかりたいとか、瞑想したいとか、案外、他愛ないことかもしれない。

 

まずは、汝自身を知れ、ですよね。

それから、周囲の状況だけでなく自分自身も、自分の求めているものさえも、実は刻々と変化しているのだということを意識してみよう。

今人生で与えられているもの、不要になったもの、欲しくないことなんかについても思いを巡らせてみたい。

自分にとっての豊かな人生について、のんびりと夢想してみるのも楽しいかもしれないな。

今よりもう少し豊かに生きるために、できることを考えてみよう。

 

ありがとう、ターシャ。

 











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