『ユーカリの木陰で里の行』


ブログ『ユーカリの木陰で里の行』

本や執筆、チベット密教やスピリチュアルな話、家族や愛犬、メルボルンの暮らしなんかをゆぅらりと綴っています

 

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初めての独りリトリートと僧院ステイと、夢見と 

―2018年12月5日から7日の日記から―


もう一月以上前の話になるけれど、

8月29日から10月28日まで

2か月間のリトリートに入っていた。

このときのことをブログに書いたものか迷っていた。

リトリート中は後回しにしていたやることが

山積みになってしまって、

滅茶苦茶忙しかったということもあるのだけれど、

それ以上に密教だし秘儀だしで、

どれだけ書いていいのかわからなかったから。

書かずにおこうかとも思ったのだけれども、

自分にとっては大切なことだし、

興味を持ってくださる方もいるかもしれないので

書いておくことにした。

 

「リトリート」とは

「退却、避難、休養の場所」などを意味する英語で、

一般には「仕事や家庭などの日常生活を離れ、

自分だけの時間や人間関係に浸る場所などを指す」

とされている。

チベット仏教では俗世を離れて、

一つの行を集中的に行うことだといえるだろうか。

 

2015年6月にオーストラリアのブルーマウンテンで

開催されたダライラマ法王のリトリートに参加したことは

ブログに書いたけど、今回のリトリートは、

そのときにご縁を結ばせていただいた神仏の行で、

 去年6月に3週間アティーシャセンターで

開催されたのだけれど、参加できなかった。

今年は、それをやり遂げたいと思っていた。

 

リトリートをして、Fire Pujaをして、

セルフイニシエーションを終える。

でないと、せっかくの恩恵もどこか宙ぶらりんで、

区切りがついていないような気がしていた。

残りの人生を生きるために、心を整理するというか、

ジンセイの区切りをつけるというか。

それにあのときイニシエーションの前夜に、

この行に関するアドバイスを仰ぐため

ダライラマ法王から夢見のガイダンスを受けて

夢を見たのだった。

 

それは、ブログにも書いたけど、夢の中で

私は電車に乗ろうと小さな切符売り場で切符を買っていた。

山の中腹にあるプラットフォームまで、

かなり長い、急な石段を登ってゆく。

やっと辿り着いたときには既に電車は来ていて、

ドアも閉まったところだった。

けれど私は焦るでもなく、

のんびりと次の電車に乗ればいいやと思っている。

周囲にはやはり電車に乗ろうと石段を登ってきた人たち。

地元のチベット仏教センターで一緒の

友人たちの姿もあった。

石段やホームの端で

プラスチックの緑色のバケツに吐いている人たちも。

山の向こうには、すがすがしい青空が広がっていて、

とても美しかった。

 

目覚めたとき、浄化と門出の夢だと思った。

電車のドアが閉まっていたことから、

明らかに自分にはまだ準備が整っていないものの、

浄化をすれば、いずれは大丈夫だという

サインの夢だろう、と。

あれから3年、まだあの電車に乗る夢は見ていないのだ。

 

 

ちょうど7月に昔~書いた長編

『インスタント・ニルヴァーナ』の最終巻を電子出版して

一区切り付いたので、今度こそ実行しようと思った。

そのうち時間ができたら・・・などと思っていたら、

一生やることもなく、人生終わってしまうかもしれないし。

やっと時間ができても、今度は病気になってしまったとか

 

お金がないとか気力がないとか、

そのときはそのときでまた別の理由で

実行する余裕などなくなっているに違いない、と。

来年、娘は高校3年生で大学受験だし、息子も中学に入る。

夫の体調もどうなるかわからないし、

じっくりリトリートをするような時間など

10年待っても取れないかもしれないのだ。

 

グルー、私のスピリチュアルな師の一人である

ゲシェDとも相談して

パートタイムで日に2~3時間ほど、ひっそりと

一人リトリートを決行することにした。

 

「パートタイムでリトリートなんて、ありっ??」と、

仏友ジェニさんが言っていたことがあるけれど、

背に腹は代えられない。

どっぷりとリトリート三昧3週間とかのフルタイムは

今の私の状況では望みようもないのだから。

 

ゲシェのガイダンスは

そんな私の状況でも実践できそうなものだった。

それからアドバイスしてくれた。

 

何よりも大切なのは心である。

いくら祭壇を豪華に飾っても、正式な流儀にこだわっても、

心がこもっていなければ、大した意味も益も生じない。

そういうものはシンプルでいいから、

リトリート神を心の中央に据え、

菩提心から実践するならば、たとえ日に数時間であっても

有益なリトリートになるだろう、と。

 

仏友ティナリンは

『リトリート・ダイアリー』をつけることを勧めてくれた。

何か不思議な体験をしたり、メッセージを受け取ったり、

夢を見たら、記しておくといいから、と。

 

こうして私の独りリトリートが始まったのだった。

自宅の書斎で、ひっそりと。

 

パートタイムとはいえ毎日キツキツの普段の生活から

2~3時間をひねり出すのは難しかったけれど、

リトリートを終え、心に残っている出来事について

ちょっと書き留めておきたい。

 


リトリートを始めてから数日経ったころから

毎朝、虫の死骸に気がつくようになった。

たいてい黄土色というか、金色がかった小さな羽虫で、

洗面所とかバスルームで溺れているのだった。

 

今の家に引っ越してから、

その虫をよく見かけるようになっていた。

その子たちはジュースの中や水のある場所で

溺れていることが多かったので、

気がつくとティッシュでそっとすくって、

そのまま置いておいた。

そうして数時間後に見ると、

たいていいなくなっているのだった。

どうやら羽が渇いて活力を取り戻すと助かるらしかった。

それでも助からなかった子は

裏庭の仏陀の前、芝生の上に置いて

マントラを唱えて成仏を祈っていた。

 

言葉に書いてしまうと、

イッちゃってる感は拭えない (^^;) けれど、、、

ジュースの中とかで溺れ死んでいる姿が

あまりに不憫だったから。

犬や猫やペットになるような子たちならば

飼い主から祈ってもらえる機会もありそうだけれども、

そこら辺の虫では

祈ってもらえる機会などありそうにもなかったし。

そんなことを何年もしているうちに、

いつしか私はその種類の虫を

「羽虫君」と呼ぶようになっていた。

 

その羽虫君がリトリートを始めてからは毎朝

目につくところで死んでいるのだった。

不憫なのでそっとティッシュに取って書斎に持ってきて、

リトリートのときにお供養をすることにしていた。

 

 

「リトリート・ダイアリー」の記録では10月7日の朝もまた

水の張っていないバスタブの中で羽虫君が死んでいた。

 

その子は綺麗な金色の花びらのようなものの上にのっていた。

なんだろうとティッシュでそっとすくってみたら、

花弁はすぅっと消えてしまった。

とても綺麗な黄金色の羽虫だったから、

花びらに見えたものは

その子の身体の粉か何かだったのかもしれないのだけれど。

とにかくその子を書斎に連れてゆき、

机の上に置いておいた。

 

その日リトリートをしたときに、

その子にも徳を廻向して供養をしてから

いつものように裏庭の仏陀の前の芝生に置こうと外に出た。

日曜のお昼ごろで、春の空は晴れ渡っていた。

ドアを開けて外に出た瞬間、

思いもよらなかったことが起きたのだった。

陽光を受けた羽虫君が一瞬、動いた気がした!?のだ。

 

えっ

と目を凝らすと、

確かに羽虫君がティッシュの上で

もぞもぞと歩き回っている!

もう朝から6時間もそこで死んでいた!

というのに。

単に気絶していただけなのかもしれないのだけれども、

あまりのタイミングに、

私は庭でガーデニングをしていた夫に駆け寄ってしまった

 

「見て、見て、羽虫君が息を吹き返したから!」

 

夫にも見せようと差し出したその瞬間、

羽虫君は羽ばたいたのだった。

くるくると私の周りを回ってから、青空に飛んで行った。

ありがとう、とでもいうように。

 

羽虫君、良かったね…

声に出したら、涙が止まらなくなってしまった。

 

現実がどうであろうとも、

とにかく羽虫君は息を吹き返したのだった。

 

 

その翌日―

私は毎朝、庭でコーヒー

 

を飲むことを日課にしているのだけれど、

リトリートを始めてから

マグパイが遊びに来るようになっていた(写真の子です)。

すぐ目の前に来て鳴いたりするので、可愛くてつい

ミューズリーやオートなんかをあげるようになってくると、

自然、親密度も倍増してくる。

いつの間にか私はその子を

「マギー」と呼ぶようになっていた。

 

マギーはその朝もコーヒーを飲んでいる私の横にやって来て

「おはよ~」とでもいうように鳴き始めた。

それから飛んで行って、

庭の真ん中に転がっていた何かを突っつき始めたのだった。

 

「何して遊んでるの~?」と腰を上げ、

「え?」

 目が点になってしまった。

 

それは、なんだかふわふわした、縫いぐるみのような・・・

つーか、小動物の死骸のような…

 

とても・・・傍に行って見る勇気はなかったので、

家の中に戻って眼鏡をとってきて、目を凝らせば、

やっぱり!

 

それは、野ネズミの死骸だった。

マギーは野ネズミの死骸を突っついているのだった。

ひぇ~~~~~~~~ 

 

マギーが・・・殺してしまったんだろうか?

それとも死体を運んできた・・・とか?

 

マギーを責める気持ちは、

声を荒げずとも気配で本人にも伝わるのか、

どこかへ飛んで行ってしまった。

 

羽虫君と違って野ネズミの死体ではとても

ティッシュにくるんで書斎に持ってゆく気にはなれない・・・

(つーか、近寄れなかったし・・・)。

家族が起き出してから、「あびじゅあびじゅ」

 と死体のことを告げると

(「あびじゅあびじゅ」は娘が焦ったときや驚いたときに

使う言葉で、我が家ではショックの公用語になっている)、

素晴らしいことに、夫がシャベルを持ってきて、

野ネズミを裏庭の隅に埋め、お墓を作ってくれたのだった。

 

結局私は近寄れなかったのだけれど、

夫の話では、野ネズミに外傷はなかったそうだ。

だから毒で殺されてしまったのではないだろうかと言っていた。

オーストラリアではネズミ駆除のために

毒を盛っている家も多いというから。

 

それでも、その日のリトリートのときに

この子のことを祈った。

成仏を祈りながら気になってしまった。

 

野生の動物は死を迎えるとき

木陰や物陰など隠れられる場所を死に場所に選ぶと聞くけれど、

あのネズミはどうしてあんなところで死んでいたのだろうか?

あの場所で攻撃されたのではないのなら、

何もわざわざ隠れるところも何もない庭の真ん中、

芝生の上で死んでいたのだろうか?

毒を食べて苦しくなって巣に帰ろうとして、

そこで力尽きてしまったのだろうか?

それともあの場所で突然、心臓発作とか?

蜘蛛膜下出血とか??

 

なんしても苦しかっただろうに、

あんなところで…、

独り…。

 

そんなことを考えだしたら、

ますますその子が不憫で堪らなくなってきた。

野ネズミの成仏を願って、徳を廻向して、

夫がつくってくれたお墓にお線香を手向けたのだった。

 

 

それから暫くした朝、

マギーが庭に面した窓からこちらを覗いているのが見えた。

今日は友達を連れてきたようで、

2羽で楽しそうに戯れている。

「見て、今朝はマギーがお友達を連れてきたよ。

あ、何か2羽で一緒に遊び始めた。かわいいねぇ」

朝食を食べていた息子に言いかけて、絶句してしまった。

 

2羽が仲良く突っついたのは、

ひぇ~~~

 

小鳥の死体・・・・・・

 

それも、あろうことか、

あの野ネズミが死んでいたのとまさに同じ場所に、

裏庭のド真ん中に、小鳥の死体が転がっている!?のだ。

 

マギーたちの間から、小さな黄色い口ばしが覗いたとき

ほんとうに悲鳴を上げてしまった。

かわいいね~と油断していただけに衝撃もひとしおだった。

「あびじゅ」どころではない、

私のあまりの動揺に家族は恐れをなしてしまったが、

事態を把握すると、夫が小鳥の死骸を埋めてくれた。

 

「同じ場所で死んでいるなんて奇妙だねぇ」などと言いながら、

またお墓を作ってくれたのだった。

この子も外傷はなかったのだそうだ。

 

その日のリトリートでその小鳥の成仏を祈った。

時々庭で見かける、黄色い嘴の

インドから来たという鳥だった。

この子たちは狭い道をよくちょこちょこと歩き回っていて、

動作が鈍いのか咄嗟に飛べないらしく、

車に轢かれている姿を時々見かける。

 

オーストラリアに来て間もないころ、この種類の小鳥たちが

路地裏をちょこちょこ歩き回っていて、

夫は避けながら運転していたのだけれど、

轢いてしまいそうになって冷や冷やしたことがあった。

そのとき後部座席に座っていた義母が言ったのだった。

 

「その鳥は昔イギリス人が誤って

インドから連れて来てしまった鳥で、

オーストラリアの自然体系を壊しているから、

轢いてしまっていいのよ」と。

 

轢いて・・・いいって・・・

 

それで車の中で口論になってしまったことがあった。

 

実際、この鳥たちのご先祖は、イギリスからの移民が

インドからオーストラリア大陸に向かう

船の中に紛れ込んで乗船してしまい、

一緒に来てしまったのだそうだ。

そのうえ、他の鳥が作った巣から卵を落として、

自分の卵を産んでしまうという習性があるそうで、

一般にオージーからは嫌われている。

この大陸の自然体系を壊しているという理由で

毎年、駆除されているともいう。

 

そんな事情のある小鳥だったから、成仏を祈りながら自然、

そのカルマや転生について考えずにはいられなかった。

 

あの小鳥はたぶん、カルマから

また同じ種類の小鳥に転生してしまうのだろう。

あの子の魂が

同じ種の生き物に自然と引き付けられてしまうだろうから。

そうしてたぶん、

オーストラリアという同じ土地のエネルギーにも・・・。

だけど、この大陸でこの種類の鳥に転生を続けている限り、

あの子が幸せな生を生きることはないのだろう。

自分の意志でこの国にやってきたわけでもないのに、

忌み嫌われて・・・。

産卵の仕方がどうであっても、

それは習性であって、嗜好ではないのに・・・。

 

 

そんなことを思ってしまったら、

あの小鳥が不憫で堪らなくなってきた。

あの子が鳥のカルマから自由になれることを

祈らずにはおれなくなる。

 

ふっと思った。

人間だって、

根源的にはあの鳥とあまり変わらないんじゃなかろうか?

 

私たちは自分の意志で生きていると思っているけれども

実はさほど自分の意志でなど生きられてはいないのだ。

仕事や家族や健康や、自然災害や社会的情勢、人間関係や

様々な制限に支配されて生きているに過ぎない。

そういう制限から自由な人など、いない。

この世に生きている限り、病気にもなるし、別れも来るし、

事故にも遭うし、天災にも遭ってしまうだろう。

仏教でいう苦諦―

 

この肉体をもって、この世に転生を続けている限り、

そういう制限から解放されることは、

自由になることなどあり得ないのだ。

輪廻転生から解脱しない限り―

いつしか私は輪廻からの解脱について、心から考えていた。

たぶん、初めて。

 

Renunciation(直訳では放棄、仏教的には解脱の決意だろうか)という言葉を

初めて聞いたのは、もう20年も前になる。

けれどそれは私には、あまりピンとこない概念だった。

それが初めて実態をもって

心の真ん中に迫ってきたのだった。

 

そうなると小鳥への思い入れも倍々倍増してしまって、

もう涙が止まらなかった。

あの小鳥が小鳥というカルマから自由になることを

心の底から祈っていた。

 



とはいえ、2度あることは3度ある。

次はもっと大きな死体が裏庭の真ん中に転がっていたらどうしよう!?

 猫とか、犬とか、クマとか・・・

と、ビビっていたのだけれど、幸いそんなこともなく

予定通り10月28日にリトリートを終えることができた。

その間に、始めたときには決まっていなかったのだけれど、

10月31日にFire Puja―護摩をすることが決まった。

 

これはもう幸運としか言いようがなかった。

リトリートの後は護摩と

セルフイニシエーションをする必要があるのだけれど、

私はリトリート行が無事に明けたら

一人Fire Puja―護摩法要をしようと覚悟していたのだった。

「覚悟」なんて言葉を使ってしまったのは、

正式な護摩をするには様々な準備が要るので

一人ではとてつもなく大変、

つーか、ほとんど無理だと言われていたから。

 

それが幸運にも仏友のご厚意で

アティーシャセンターの僧院で行われる

プライベートのFire Pujaにご一緒させてもらえる

ことになったのだった。

 

そこは、今年ラマ・ゾパ・リンポシェが

6週間滞在されていた僧院だった。

リンポシェ・エネルギーの余韻漂う中で

護摩が焚ける💛のだ!

 

そのうえ僧侶たちのご厚意で、その前夜は

僧院に1泊させてもらえる!ことになったのだった。

しかも護摩の後はランチにまで招待してくれる!という。

 

それだけでも有難くて、

もうそちらに足を向けては眠れません状況なのに、

ランチの後、

セルフイニシエーションにまで招待してもらえたのだった!

タントラ・ヨーガ行者的には

もう一生分の功徳を使い果たしてしまったか!?

ってくらいの幸運である。

 

 

しかも10月31日という日にちも私には重要だった。

別段ハロウィーンの夜🎃との関連性はなく、

その日がチベット歴では屈指の縁起の良い日、

行をするのに最適な、

功徳倍増の吉日であるからなのだけれども、

私にとってはそれ以上の意味があったのだ。

 

遡れば3年前―

このイニシエーションをダライラマ法王から受けた後に

ニュンネ、浄化のリトリートがあったのだけど、

夫が参加したために私は家に残って子どもたちをみていた。

その夜に夢というかビジョンが見えた。

自分が黒い者たちから痛めつけられているという映像で、

我に返るや、嫌なビジョンを見てしまったナと思った。

これは病気になるか事故に遭うか、

いずれにしても苦痛に苛まれてしまうかもしれないナ、と。

 

実際その数週間後から体調が崩れ始めて、

これはブログにも書いたのだけれど、

ある夜あまりの痛みに助けを求めて祈ったら、

うつらうつらするなか、また夢のようなビジョンが現れた。

 

私は鳥居をくぐって、

落ち葉の山道を上へ上へと登っている。

するとどこかもっと上の方から声が聞こえてきたのだった。

 

負のカルマは

自分の思い方を変えることで浄化することもできるのだが、

殆どの人は病気になることで浄化することを選ぶのだ、と。

 

ハッと我に返るや、

すぐにもまたそこに戻って宣言しようとした。

ならば思い方を変えますから、

なんとかこの痛みをとってください、と。

けれどもう二度とそのビジョンの場所には戻れなかった。

 

実際その夜から痛みも体調も酷くなる一方で、

遂には10月31日、ハロウィーンの日に

私は急患で救急科に運ばれ、緊急手術を受けたのだった。

結局、完治するまでには1年近くかかってしまった。

後で医者から、

あのときは命が危なかったのだと知らされた。

 

そんな経緯があったから、あの救急病院で唸っていた夜から

 3年が経った10月31日に護摩をするということは、

私にとってはシンクロニシティというか、

とても意味のあることだった。

 

 

こうして私はリトリートのご縁で初めて

チベット仏教の僧院に滞在することになったのだった。

 

前回アティーシャセンターのリトリートで

テントdeキャンプ・ステイをしたときには、

マジで凍死するかっ!?

 

と思ったほど寒かったのだけれども

僧院の部屋は想像以上に快適だった。

イレ、シャワー、洗濯機は共用だけど、

部屋にはベッドと机、洗面所までついている。

窓からはユーカリの木々を背に仏舎利塔や仏像が見えて、

眺めも素敵。

庭の花も満開だった。

なによりも、うっとりするほどの静穏に包まれていた。

 

チベット仏教の僧院で僧侶たちと過ごした二日間―

僧院自体が、何かもう

別の時間軸で動いているかのようだった。

 

オーストラリアの雄大な自然に囲まれた

仏教寺院にいるのだ。

一瞬一瞬がとてつもなく平和で、神聖で、

祝福されているようで・・・。

 

食事は僧院の食堂で頂いた。

窓から差し込む夕陽が

ダイニングルームの祭壇を黄金色に染めていた。

仏像やタンカの飾られた空間でとる食事は、

何かそれだけでもう

半分行をしているかのような気持ちになってしまう。

 


不思議なご縁も感じた。

食事中に僧院長でもある(たぶん)

年長の僧侶がテーブルに加わってくれた。

僧侶は夕食を取らないのだそうで、

お茶だけを飲んでいらした。

 

話しているうちに、

彼が本を3冊出していることがわかった。

今日はその本を読んだというビジネスマンがわざわざ

シンガポールからここまで訪ねてきてくれたのだという。

どんな本を書いているのかと尋ねて、驚いてしまった。

そのうちの1冊をなんと私は持っていた!から。

 

『A leaf in the wind, a life journey』

by

Adrian Feldmann (Thubten Gyatso)

 

それは、70年代のヒッピー文化を背景に当時

医師だった若者が人生の意味を求めて、

オーストラリアからアフガニスタン、

ネパールへ探求の旅に出て、

チベット仏教に出会い、僧侶になったという自伝だった。

 

私は元来スピ系の自伝が大好きなのだが、

この本は確か10年以上前に買ったと記憶している。

その著者がなんと自分の目の前でお茶を飲んでいるのだ。

 

なんて偶然なんだろう!?

これってば、シンクロニシティ?

 

不思議なご縁を感じてカンドーしてしまったのだけれども、

余り多くは語れなかった。

というのも、未だ読み終わしていなかったから…

これを読み始めた当時はまだ子供たちが小さくて

子育てに追われ、疲れた頭に英文が入ってこず、

いつのまにか止めてしまったのだった。

 

家に帰ってから、本棚を引っ掻き回し、

改めて手に取ってみた。

改めてとても惹かれた。

初めから今度はゆっくりと読み直してみようと思う。

 

 

夕食の後、今回私たちを手伝ってくださった

古株のタントラ・ヨーガ行者さんの指導で、

翌日のセルフイニシエーションのトーマを作ったことも

大切な思い出だ。

材料は彼が全て揃えておいてくれたので、

もう一人の行者さんと3人で古い教本を参考にして作った。

 

キッチンは即席トーマ工房に。

トーマ作りは初体験の自分。

なんとなく密具を作っているというよりは

Playdo―カラー粘土でアートしている雰囲気は

否めなかったけれど・・・。

2時間かけて出来上がった4体を大切に電子レンジに

(他に適当な場所が見つからなかったので)保管した。

 

翌日、ニュージーランド人の僧侶Jさんが

朝食を作ろうとして電子レンジを開け、

私たちのトーマを発見して大笑いしていた。

確かにそれは「聖なる」とか「畏怖の念」には程遠く、

ジブリ映画に出てくる

ファンタジックなキャラのようで可愛らしかった。

 

 

早朝に一人、勘違いの場でお勤め行をしてしまったことも

美しい思い出となっている。

 

夕食のときギャトー僧が

僧院のゴンパ(瞑想室というか、本堂)で

護摩の前のお勤め行をしてもいいと言ってくれていた。

せっかくの僧院滞在という幸運に恵まれたのだからやはり

自分の部屋でひっそりと一人行をするよりは、

本堂で仏さまや観音様、菩薩様に囲まれ、

神聖なエネルギーを感じながら瞑想行をしたかった。

 

その行には2時間半はかかるので、

7時からの朝食に間に合うよう4時前に起きた。

まだ真っ暗な中を懐中電灯で足元を照らしつつ一人、

いそいそと僧院の本堂がある建物に向かった。

 

夜明け前の凛とした夜気が大地を覆っていた。

見上げれば、満天の星空が広がっていた。

余りの美しさに足を止め、

ユーカリの木々が夜風にそよぐ音を聞きながら

暫く眺めてしまった。

 

 

本堂のあるこちらの建物に来るのは初めてだったので、

どうなっているのか皆目見当もつかなかったけれど、

入り口のドアが開いていたので、

とりあえずそこから中に入ってみた。

すると手前のドアが手招きでもするかのように

開いていたのだった。

 

その部屋に入るや、

祭壇に祀られていた大きなタンカに息をのんだ。

なんと、

そこに描かれていたのは、今回のリトリート神だったのだ。

 

またしてもなんというシンクロニシティ!?

つーか、縁起?

 

リトリート神はタンカの中から

圧倒的なエネルギーを放ちつつ

こちらを見下ろしていた。

 

よく来たね。

さあ、ここでおやりなさい、とでもいうかのように。

 

本堂にしては狭いような気がしたし、

塗りかけの観音様が鎮座されていたりして、

何か変だな? 

とは思ったものの、

プロストレーション、五体投地をして行を始めてしまった。

夜明け前だというのに、うろうろ探し回って

眠っている僧侶たちを起こしてしまいたくはなかったし。

何よりも

自分のリトリート神が目の前に祀られているのだから。

 

行の間中、

涙がでそうなほどに美しい、凛とした静けさに満ちていた。

そうしてカーテンの隙間がうっすらと白むころには

僧侶の読経や鐘の音が聞こえてきたのだった。

 

後で知ったのだが、あの部屋は

本堂ではなく、ギャトー僧の工房だったのだそうだ。

なるほど。どうりで塗りかけの観音様や、

まったく色のない観音像が置かれていたわけだ。

それでも私は思いもよらず、

僧院で今回のリトリート神を前に行ができたのだった。

 

 

Fire Pujaは野外で行われると聞いていたので、

私は天気を心配していた。

雨でもまずいし、

周囲をユーカリの木々に囲まれているので強風も困る。

炎が飛び火して、山火事にでもなったら一大事である。

だけどその日は幸い雨も降らず、風もなく、

これ以上は望みようもないほどの火供養日和(?)になった。

 

秘儀なので詳細は書けないけれど、

お坊さん二人と尼さんが手伝ってくれて、

私たち3人は素晴らしいFire Pujaを全うすることができた。

そのうえ片づけまで手伝ってくださって…

ランチにまで招いていただいて・・・。

 

 

ランチの食卓には、護摩を終えた私たちのために

特別に用意してくださったベジタリアン料理が

盛大に並んでいた。

香ばしいカレーの匂いや食事前の祈祷に包まれ、

ありがたく頂いた。

 

午後のセルフイニシエーションは

僧院のゴンパで行われたが、本物のゴンパ(笑)は、

私が今朝本堂だと思い込んで行をした工房の3倍は広かった。

 

僧院には10人ほどの僧侶が住んでいるのだそうだけど、

お世話になった方々には感謝してもし切れない。

 

宿泊費はいいと言われ、お布施を置いた。

心ばかりのそれに感謝の気持ちを込めまくって。 

 


こうして8月29日から入った一人リトリートは、

思いもよらず僧侶や経験を積んだ行者さんたちに助けられ、

僧院での護摩とセルフ・イニシエーションで

完了したのだった。

 

グルーや僧侶や仏友たちのサポートを思い返せば、

感謝の気持ちで胸がいっぱいになってしまう。

それから家族にも。

思えば風変わりな母親を

文句も言わずサポートし続けてくれて、ありがとう。

 

一人リトリートなどと言いつつも、

私一人じゃ絶対にできなかったことである。

 

そうしてその翌々日から今度は

3泊4日でNyung Nye―浄化のリトリートに入った。

そのニュンネも終えて、これで私の中では、

2015年に受けたダライラマ法王のリトリートから

やっと一区切りがついたのだった。

 

 

ニュンネの後に夢を見た。

夢の中でリトリート神のイメージが現れた。

神仏その人(?)ではなく(笑)、

銀縁の額に入った仏画だったけど、鮮やかに美しかった。

祭壇にシルバーのオファリング・ボール

(お供えのための器)が2列に並んでいた。

半分夢の中で、半分目覚めているような意識のなかで

私は今回のリトリートの出来について聞こうと、

並んだオファリング・ボールに水を注ぎ、

マントラを唱えてからまた眠りに戻ったのだった。

 

するとオファリング・ボールの周りに水が零れていたりして

ちょっと乱雑な感じの祭壇が現れ、

そこに「80%」と文字が出てきた。

それから祭壇に零れた水を布で拭き取る映像が現れた。

その布をひっくり返すと、羽虫君が現れた。

 

ハッと目覚めた途端、思った。

儀式としてはかなり適当でいい加減な面があったものの、

菩提心から羽虫君とのご縁を培ったりできたから、

まあ、合格点ということだろう、と。

  

それから暫くした夜にまた夢を見た。

今度は息をのむほど美しい祭壇に、真っ白な花が飾られ、

銀色のオファリング・ボールが2列に置かれていた。

器に注がれた水がきらきらときらめいていて、

そのすべてに小鳥がとまっていた。

家の裏庭で死んでいた黄色い嘴の、

インドから渡ってきたという小鳥だった。

小鳥たちは水面の輝く銀色の器にとまって、

さも嬉しそうに、楽しげに囀っているのだった。

今思い出しても目頭が熱くなってしまうほど鮮やかに、

それはそれは美しい夢で、祝福されている気がした。

「情けは人の為ならず」とはいうけれど、

結局のところ、それは自分にも返ってくるってことだろう。

以来、裏庭や通りで

あの黄色い嘴の小鳥たちを見かけるたびに、

ほんわか~と幸せな気持ちになっている。

 

翌日、ゲシェDとランチしたときにリトリートや護摩のことを聞かれた。

夢見のことを話すと、ゲシェは笑ってらした。

「Good, good, very good」、と。

 

結局、イニシエーションの前夜に見た夢の続き、

あの電車に乗るという夢は

未だに見ていないのではあるけれども。

 

でもリトリートはして良かったと思っている。

たとえパートタイムであっても。

私にはたとえようもなく貴重な時間だった。

いつか『リトリート・ダイアリー』を捲りながら

あの時間を振り返ってみよう。

休息の中に何かまた

新しい発見や気づき、学びがあるかもしれないから。

 

 

そうしてまた、昨夜

12月8日の夜にスピリチュアルな夢を見た

(ブログの順番の関係で5日の日記にアップするのですが、

今日は9日デス)。

 

私は、どこか大きな大乗仏教寺院にいた。

そこで催されるPuja、法要に参加するところだった。

地元のチベット仏教センターの友人たちも数人来ていて、

動物たちのお供養が始まるところだった。

人類の環境破壊で

さまざまな種類の生き物たちが絶滅している。

その供養らしかった。

ちょうどそのとき雄と雌、番のクマが殺されたようで、

クマの叫び声で目が覚めた。

 

目覚めてから

地球の環境問題に対して考えずにはおられなかった。

改めて、私も何かもっと自分でもできることを見つけて

少しでも改善してゆかなくては、と思う。

 

さて、もう2018年も12月―

残すところ僅かになってしまいました。

皆さんはどんな年を過ごされたのでしょうか?

私は今年も

除夜の鐘を聞きながら新年を迎えられそうで、嬉しいデス。

 

来年はどんな年になるのでしょう?

 

少し早いのですが、、、

 

皆様の2019年が実り多い年でありますように。

どうぞ良いお年をお迎えください。

 






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